昭和の航空自衛隊の思い 出(290) 自己実現の努力と豊かな人生への挑戦(1)

1.自衛隊生活における自己実現と人を育てる場

 昭和58年3月西部航空警戒管制団司令部人事部長を拝命して、特に力を入れたことは、「隊員の自己目標の実現」であった。志のある隊員に対して、各人が持つそれぞれの目標の実現に向けて奨励・啓発・助力することであった。

 その根底には、「自己実現(人生に目的や目標を持って、その実現の為に努力し成し遂げること。)」することが、隊員個人の充実と豊かな人生を築くことに繋がると考えていたからであった。どんなことでも志ある隊員は、隊務にも積極的に取り組み部隊にとってなくてはならない人材となるからであった。

     自衛隊生活においては、様々なチャンスがある。士から曹への昇任試験、曹候への受験、部内幹部候補生や3尉候補者選抜試験、各種要員の選抜試験、指揮幕僚課程選抜試験から大学通信教育などであった。世間でいうところの「出世」といったこととは次元が異なるものだった。

     自分が定めた目標に向かって自己研鑽することは識見技能を高めることにつながり、「自衛隊生活をより一層豊かにしてくれる」ものであった。

     自衛隊勤務においては、人事・教育・訓練などの諸制度が整っており、その気になれば機会が与えられていた。勤務をしながら自分が設定した目標に向かって努力することが出来る組織であった。組織が「人を育てる」システムを有していたということである。

2.豊かな自衛官人生へつなげる奨励・啓発

 私の場合を取り上げると、航空自衛官として2士から1尉に至るまでの間に、操縦学生基本課程10ヶ月、操縦未経験者英語課程・地上準備過程・初級操縦課程1年、人事員課程3ヶ月、一般幹部候補生課程(部内)10ヶ月、要撃管制幹部課程4ヶ月、人事幹部課程4ヶ月、幹部普通課程3ヶ月及び指揮幕僚課程1ヶ年と合算すると4年10ヶ月に及ぶ教育訓練を受けたことになる。

   残念ながら大学に進むことはできなかったが、それ以上のものを学び習得したように思っている。この間は、単に技術の習得だけではなく、幅広い視野で、物事を捉え、考え、実行する素地を与えてもらった。

 こうした観点から自衛隊入隊以来、34年余の自衛官人生を振り返って見ると、自己実現への努力と豊かな人生への挑戦であったように思う。そしてその基盤となったものが、合算して見ると5年近くの自衛隊における教育・訓練であった。

 自衛官生活でそれぞれの配置についたとき、自衛隊における人事・教育・訓練などの諸制度を積極的に活用して挑戦することを奨励してきた。その事が自己実現につながり、自衛隊生活を豊かにするとの確固たる信念からであった。 

   各部隊勤務においては、各種の「合格記」の冊子を編集・発行してして「自己実現の道しるべ」とした。

 

3.服務だより

    西部航空警戒管制団司令部における「服務だより」からその一部を紹介します。

    昭和59〜60年のことであった。ここに登場した皆さんはその後どのような人生を歩まれたであろうか。 

 

❶ 部内幹部候補生選抜試験

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 《 当時の部内幹部候補生選抜試験の競争率は、80倍であった。》

 

 幹部昇任試験(3尉候補者) 

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《 部内で、一般に「3候」と言われる幹部登用の試験である。昭和60年から受験資格が曹長、准尉となった。》

 

 ❸.部外幹部候補生試験 

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 《 一般大学を卒業し、公募空士として入隊し、離島勤務等で厳しい勤務を経験し、一般大学卒業者を対象とした一般幹部候補生(部外)採用試験に挑戦し、新しい人生を切り開く者が多かった。》

 

❹.一般空曹候補学生試験

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《 当時、一般空士は、一般空曹候補学生試験を目指した。》