昭和の航空自衛隊の思い 出(289)  燃えているときに鍛える昇任者教育

1.昇任と上位職位への挑戦

 隊員にとって、昇任は最高の喜びである。階級・年齢の上下を問わない。一階級昇任することは職務と責任が増すが、その配置に就くとそれなりにふさわしく見えてくるものだ。そこには本人の昇任階級に対する自覚と識能の向上を目指す向上心と人知れぬ精進努力があるからだ。

 「補職は人を育てる」「配置は人を育てる」と同じように、「昇任は人をやる気にさせ、育てる」一面を持っているといって過言ではない。人事部長着任して以来、空曹の昇任に際して、昇任直後に昇任者教育を実施する策案を訓練班長津出文宏3佐を中心にまとめ早田匡之副司令・正信恭行団司令に進言した。

 

2.部隊任務遂行と空曹の位置づけ

 古来、どこの国の軍隊でも、優れた下士官のいる部隊は、指揮官の指揮統率が立派に行われ、規律厳正にして、困難な厳しい任務を遂行することが出来るといわれている。

 航空自衛隊における航空警戒管制部隊はしかりだ。24時間体制で交代制勤務、分散した人里離れた勤務場所、しかも少人数で陰ひなたなく黙々と任務を遂行するのが警戒管制部隊の特色である。

 特に、空曹諸官は、各部署のショップ長・班長等として、各特技職の総元締めであり、管理監督者・指導者・技術熟練者・後輩の教育者の役目を担っており、任務遂行の屋台骨を支える人材である。各級指揮官にとって空曹は人的戦力の要となるものである。

 

3.燃えているときに鍛える

 特に、上級空曹の資質能力と能力発揮は指揮官の指揮統率に大きな影響を与える。「昇任者に期待されることは何か」を昇任直後の感激のあるうちに問い直し、集合教育によって自らの昇任が部隊及び本人にとってどんな意義を持つのか、今後どうあるべきか見つめ直す機会を設けることとした。

 従来からどこの部隊でもあるような内容ではなく、約10日余、部隊の総力を挙げて教育に当たる計画とした。

 「鉄は熱いうちに打て」という言葉がある。昇任で心身ともに高揚し決意を新たにして新しいことへ挑戦する意欲と能力に火をつけるのが昇任直後の集合教育であった。

 自衛隊における一階級上位の階級へ昇任は、職務に対する業績とともに上位階級への資質能力が認められたことである。鉄は熱いうちに打ての如く、やる気満々の昇任時に鍛えることこそ、教育成果が倍加するものだ。普段できないことでもできるようになる。 

 また、集合教育で昇任者の不在間は、職場の業務は全員が一致協力してカバ-することになり、一方、昇任者の存在感を高めることに繋がる。

 

4.   厳しい昇任者集合教育内容

 昇任者集合教育は、かってないほど厳しい内容とした。精神的、肉体的にも過酷であったが、一名の落伍者もなく、見事に教育訓練を終了した。

 主任教官である訓練班長の津出文宏3佐の抜群の企画・教育訓練・指導能力と情熱には敬服した。前任の竹重満夫3佐もしかり、航空自衛隊の有能な教育幹部の存在を再認識したものであった。

 かってないほどの厳しい集合教育であったが、ラッパを先頭にした行進を最後に全員見事に所定の内容を終了した。皆晴れ晴れとした顔つきで原隊へ帰っていったのが印象に残った。

    私にとっても、空曹時代に目標・鏡としてきた福田正雄大先任のような人材を一人でも多く育成したいとする志の一端が少しでも実現できたのではないかと思った。

   一人の力は知れている。部隊指揮官以下多数の関係者の情熱と固い意志、総力の結集があれば、必ず事を成し遂げられるものであることを確信した。これが自衛隊である。

  当時の春日新聞「春日」は、次のように伝えていた。 

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 昇任者集合教育の主要な教育内容

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 昇任者集合教育の参加者所感f:id:y_hamada:20160407181806j:plain

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 昇任者集合教育記念撮影

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 《 集合教育参加者の 旺盛な参加意欲と教育担当の津出3佐の教育に対する情熱はすさまじいものがあった。最後のラッパ手を先頭にした行進、お別れ会は強く印象に残り忘れ難いものであった。》