昭和の航空自衛隊の思い 出(285) 将来人生設計が描ける離島サイト交流の推進(4)

1.   将来の生活設計が描ける離島交流

 西警団司令部人事部長として、昭和58年3月から60年8月の2年半の在任間、団司令の指導のもと、全力で取り組んだことが「離島勤務者の異動管理」であり、離島勤務者が安心して勤務できる人事管理を推進することであった。

    この離島交流の課題は、警戒管制部隊の創設・展開以来の離島に所在するレ-ダ-サイトの部隊配置・地理的特性からくるものであった。隊員の出身地構成、更に航空自衛隊の沖縄展開による沖縄交流、新編部隊建設等が加わり、血の通った隊員の個別管理、綿密な異動管理・人事管理が求められるようになった。

 この「服務だより」は、昭和の時代の離島サイト交流に関する悪戦苦闘した記録でもあった。これは成功の記録ではなく、わが国の空を守るため第一線で日夜休むこともなく厳しい環境下の離島で勤務に就いていた隊員の実相を物語るものであった。

 そこには国民の目に触れない、語られない、伝えられない厳しい現実があった。当時の「服務だより」は、離島勤務者の異動交流問題の本質を突いて、実に的確にその状況を記録している。

2. 離島勤務を立派に果した御苦労さん号

   今回は、離島勤務を立派に果たした男の喜びの声「御苦労さん号」を紹介しよう。

 西警団司令部人事部長として、昭和58年3月着任し、いち早く、見島を皮切りに下甑島、福江島海栗島の離島サイトを幕僚訪問し、勤務隊員が求めているものは何かと部隊長をはじめ多数の隊員の生の声を拝聴した。

 何といっても、離離島サイトで黙々と任務に励む隊員の切なる願いは、「離島勤務で所定の年数を立派に果たしたら希望の任地への異動をかなえて欲しい」「将来の生活設計が立てられる異動管理・人事管理をして欲しい」の二点に絞られていた。

 隊員の素朴な願望であり、職務遂行の基盤となる「離島勤務者の異動管理」を着実に推進することが求められていた。

 当団における異動管理の課題は、積年の大きな課題であり、氷山の如く立ちはだかっていたが、正信団司令・早田副司令の指導のもと、大胆に取り組むことができた。歴代の団司令以下のご尽力で離島勤務者の異動交流は進んでいたが、団内交流の手詰まり化と渋滞化に伴い勤務年数の長期化傾向が顕著になってきたことから、 一歩踏み込んで、ちょっぴりではあるが、風穴を開けることができた。

   それは諦めの打破と意識改革、さらには空幕等中央部と上級司令部へ実態の細部資料を積極的に提供し、問題の本質を追求し、理解・協力を得ることであった。根本的な解決は、空自全般からの強力な総合施策を必要としていたからであった。

 映画の「喜びも悲しみも幾歳月」(昭和32年(1957年)の灯台守の物語は、航空自衛隊が空の守りとして米空軍からㇾ-ダ-サイト移管・引き継ぎをして以来、離島各地で勤務する隊員のまさしく自衛隊版の「「喜びも悲しみも幾歳月」が展開されていた。若い時代に要撃管制官の端くれとして各地の現場を見聞してきたからよく分かる。

 当時、離島勤務を立派に果たし、希望の任地へ異動した隊員の皆さん、わけても「服務だより」に登場した皆さんはその後どんな自衛官人生を歩まれたでしょうか。「人生至る所青山あり」で、夫君と一緒に離島で生活された奥様、子供さんたちはどのように離島生活を受け止められたでしょうか。きっとかけがえのない良き思い出をいっぱい作られたものと推察しています。

 人事幕僚として、取り組んだ職務の中で、離島等厳しい勤務環境への異動者の事柄は、新しい職務に就いても気がかりであった。個々の状況・結果を知る由もないが、真剣に取り組んだことだけはしっかりと覚えている。

 約80号に近い「服務だより」を保存してきたことは、それだけ精魂を込めたということであろうか。懐かしい春日・西警団司令部勤務の一ぺ-ジがここにあった。

    退官後数十年経ったあるとき、偶然に出会ったあるOBから突然、感謝の言葉をもらいびっくりしたことがあった。当時、離島サイトに単身赴任していたOBは、子供の自閉症・登校拒否等で一家が最大の危機状態にあった。部隊長の適切な上申報告により、サイト交流の対応が迅速に行われ、自宅の大黒柱の復帰により平穏な家庭生活を取り戻し、立派に自衛隊勤務を全うすることができたとのことであった。

 とりわけ、離島サイト交流は、自衛隊勤務と家庭生活、更には人生設計を織りなす隊員模様の展開であったことが強く印象に残っている。

 

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 《 「御苦労さん号」は、離島勤務を立派に果たし希望の任地へ異動した男の喜びの声である。「御苦労さん号」に登場した隊員は家族持ちであった。隊員のそれぞれの喜びの短い言葉の中に、「喜びも悲しみも幾歳月」が秘められている。国の守りの一端は、離島サイトで黙々と任務を果たす隊員の汗と苦労によって成り立っている。この「服務だより」に登場した隊員の皆さんはどんな自衛官人生をお歩まれたであろうか。奥様や子供さんたちはかっての離島生活をどのように受け止めて鬼れるであろうか。》

 

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《 「御苦労さん号」は、離島勤務を立派に果たし希望の任地へ異動した男の喜びの声である。長い期間離島で勤務し、立派に勤めあげての離任の言葉は千金の重みがある。空士隊員に異動のチャンスを与える施策は一生懸命頑張れば空士でも異動できると知らしめた。皆希望の任地へ喜び勇んで転出していった。空の守りの一翼は、離島サイトで黙々と任務を果たす隊員の汗と苦労によって成り立っている。自衛官生活における厳しい環境の離島サイトへの異動は、任務上の要求に基づくものであるが、この苦労をいかに自分の人生に生かすかによって新たなる己の人生が開けてくる。》