昭和の航空自衛隊の思い 出(283) 勤務環境の公平化を目指す離島サイト交流の推進(2)

  西警団司令部人事部長として、昭和58年3月から60年8月の2年半の在任間、団司令及び副司令の指導のもと、全力で取り組んだことが「離島勤務者の異動管理」であり、離島勤務者が安心して勤務できる人事管理を推進することであった。

    この離島交流の課題は、警戒管制部隊の創設・展開以来の離島に所在するレ-ダ-サイトの部隊配置・地理的特性からくるものであった。相次ぐ新改編部隊への充足、隊員の出身地構成と希望勤務地、更に航空自衛隊の沖縄展開による沖縄交流が加わり、血の通った隊員の個別管理、綿密な異動管理・人事管理が求められるようになった。

 昭和の時代の離島サイト交流に関する悪戦苦闘した記録でもあった。これは成功の記録ではなく、わが国の空を守るため第一線で日夜休むこともなく厳しい環境下の離島で勤務に就いていた隊員の実相を物語るものであった。

 そこには国民の目に触れない、語られない、伝えられない厳しい現実があった。当時の「服務だより」は、離島勤務者の異動交流問題の本質を突いて、実に的確にその状況を記録している。

 今日においても、レ-ダ-装備器材の近代化により、時代の経過とともに離島サイトの部隊改編等があったであろうが、離島サイトのおかれた地理的・勤務環境はいささかの変化もないであろう。

 航空自衛隊の充実発展とともに 准尉・空曹及び空士の異動管理は一貫した方針・基準のもとに総合的、適切かつ順調に実施されていると思われる。何事も継続と柔軟な対処が必要ではなかろうか。

 

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《 頻繁に発行された「服務だより」は、人事管理・服務等幅広い内容で、全隊員に読まれ反響も大きかった。昭和60年3月の「服務だより」は、「59年度の離島サイト交流のミニ白書(准曹士隊員の異動)」の「離島交流号」とした。空幕はじめ関係部門の理解・協力を得て推進した離島サイト交流を中心とした准尉・空曹及び空士の異動管理は、「服務だより」の記事の通り、58年度地道に努力した結果が59年度には着実に成果が表れるようになった。理屈ではなく具体的に異動基準や異動件数などを積極的に情報提供するPR作戦も軌道に乗ってきた。この問題の根本的な解決は、空自全般の高い視点からの積極的・長期的・具体的な施策が求められるようになってきたことである。西警団から上げた「離島サイト交流」の切実な隊員の声は大きくこだまし、スピ-ド感のある改善に繋がっていった。当時を振り返ると、関係者の目はどちらかと言うと比較的新しく、異動件数の多い沖縄交流に向いており、着実に交流が実行されていた。これに対して、空自創設以来の離島交流は一部の地域的なものであったためと異動件数が比較的少なく、長年の間にその深刻さが増してきたもので、離島交流の困難性に再度目を向けさせる機会となった。60年8月には、人事部長交代となって安長豊2佐へバトンタッチし更に推進された。新しい補職は、航空自衛隊全般の准尉・空曹及び空士に関わる人事を担当する空幕人事課人事2班へ配置となり、班長を拝命し重責を担うことになった。》