昭和の航空自衛隊の思い 出(278) おらが部隊のシンボルマ-ク(10) 西警団整備補給群

1.おらが部隊のシンボルマ-ク   

  航空自衛隊のみならず、自衛隊の部隊はシンボルマ-クを制定している。昭和58年3月~60年8月まで2年半西部航空警戒管制団司令部人事部長として勤務した当時の部隊シンボルマ-クと現在公表されている部隊シンボルマ-クを比較してみたら全く同じか、かなり改されて出来上がっていることに気付く。部隊シンボルマ-クは部隊団結の象徴であり、ジャンバ-等の胸部に着けて着用していた。シンボルマ-クの制定に当たっては、部隊の任務、歴史があらわされており、デザイン採用時の発想・考えの基本を大切に受け継ぎ、部隊が伝統をいかに大切にしているかがよく分かる。

 どこの団司令部の玄関でも隷下部隊のシンボルマ-クが展示されているのを見かけたものだ。

 西警団勤務当時のアルバム帳に隷下部隊のシンボルマ-クの制定の由来等が載った基地新聞「春日」の切り抜きが張られていた。どうしたことか一部が欠で全部隊が揃ってはいないのが残念であった。

 私の利用しているタンスの引き出しに、在職当時の各部隊のネクタイピンのほかに新品の西警団・シンボルマ-クの一部が袋に包んで保存されていた。30年以上タンスに眠っていたことになる。全部が刺繍のシンボルマ-クは写真で見るより実に良くできているのに驚くばかりである。自衛隊の部隊シンボルマ-クを収集しているマニアがいるくらいだからお宝の一つであろうか。

2.西部航空警戒管制団の各部隊シンボルマ-クの昔と今

整備補給群のシンボルマ-ク 

❶ 昭和の時代(整備補給群)

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 《 昭和58年~60年当時の基地新聞「春日」の切り抜き 》

 

❷ 現在(整備補給群) 

 シンボルマ-ク整備補給群

《 整備補給群のシンボルマ-クは 西警団ホームぺ-ジ出典 》

《 現在の整備補給群のシンボルマ-クは、 昭和の時代の簡明なシンボルマ-クから総合的かつ近代的なものとなっているが、「SEIHO」は受け継がれている。シンボルマ-クは、時代とともにも文字だけの単純なものから、隊員意識の変化が反映し、部隊任務・機能‣部隊の歴史・地域特性などが総合的にあらわされるものに変わりていったことがよく理解できる。》