昭和の航空自衛隊の思い 出(273) おらが部隊のシンボルマ-ク(5) 西警団第9警戒群(下甑島)

1. おらが部隊のシンボルマ-ク

 航空自衛隊のみならず、各自衛隊の部隊は特色のあるシンボルマ-クを制定している。昭和58年3月~60年8月まで2年半西部航空警戒管制団司令部人事部長として勤務した当時の隷下部隊のシンボルマ-クと現在公表されている部隊シンボルマ-クを比較してみたらデザインや色彩などほぼ同じであるよう見受けた。

 法規に基づき授けられる指揮権・指揮官・部隊を象徴する部隊旗と異なり、部隊・隊員の総意を結集して決めた部隊シンボルマ-クは部隊団結の象徴であり、常時広く愛用され、ジャンバ-等の胸部に着用していることが多かった。

 シンボルマ-クの制定とデザイン採用にあたっては、隊員から広く応募したりして、部隊の任務・機能と隊歴があらわされている。いったん制定したデザインと発想・考えは何十年を経過しても受け継がれているようだ。部隊の伝統をいかに大切にしているかがよく分かる。

 現職時代、どこの部隊を訪問しても司令部の玄関では隷下部隊のシンボルマ-クが展示されているのをよく見かけたものだ。

    西警団勤務当時のアルバム帳に隷下部隊のシンボルマ-クの制定の由来等が載った基地新聞「春日」の切り抜きが張られていた。どうしたことか一部が欠で全部隊が揃ってはいないのが残念であった。

 私の利用しているタンスの引き出しに、在職当時の各部隊のネクタイピンのほかに新品の西警団・シンボルマ-クの一部が袋に包んで保管されていた。30年以上タンスに眠っていたことになる。全部が刺繍のシンボルマ-クは写真で見るより実に良くできているのに驚くばかりである。自衛隊の部隊シンボルマ-クを収集しているマニアがいるくらいだからお宝の一つであろうか。

 

昭和時代の西部航空警戒管制団のレ-ダ-サイト

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2.西部航空警戒管制団の各部隊シンボルマ-クの昔と今

第9警戒群のシンボルマ―ク

❶ 昭和の時代(第9警戒群・下甑島分とん基地 )

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❷ 現在(第9警戒隊)

 下甑島分屯基地

《 西警団ホ-ムぺ-ジ出典 》

 

3.昭和の第9警戒群(下甑島分とん基地)が所在した当時の下甑  

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 昭和59年頃の観光パンフレットの一部、串木野下甑島を結ぶ連絡船シ-ホ-クが就航して便利になったとはいえ、春日基地の司令部から出かけるには結構時間がかかった。離島サイトの勤務環境はどの部隊も厳しいものがあった。どの離島部隊も 荒天で連絡船が欠航した時に備えて本土側に連絡所が設けられていたのが印象に残っている。外出などで本土へ渡ったら常に帰隊時限のことを考えて行動していた隊員の様子が忘れられない。》