山門の人生の教示  踏まれた草にも花が咲く  

「踏まれた草にも花が咲く」

    今月の洞雲寺の山門掲示のことばはもう一つあった。「踏まれた草にも花が咲く」である。このことばからは、どうしても人生と重ね合わせて受け止めてしまう。

    毎月1日と15日は墓参りで、神ケ谷町洞雲寺に出かける。車で出かければ短時間で往復できるが、できるだけ徒歩で出かけることにしている。行って帰ってくるまでに約2時間ほどかかるが、健康によいし、自然を楽しむことができるからだ。

   気楽に散策気分で出かける。車が頻繁に通る道路は避けて、あえて雑草の生えた狭い田舎道を通ることにしている。 そこは車道から一歩外れた農道と言ってよいであろう。

   農道は、時折、車や人が通るくらいで雑草がいっぱいだ。どんなに踏まれようと野の草はへこたれない。踏まれれば踏まれるほど強くなって生きているからだ。

  厳しい自然の風雪にも耐え、どんなに痛めつけられてもこれをはね除けて伸びる力を持っている。この力はどこから出てくるのだろうか、野の花の持つ遺伝子であろうか、母なる大地であろうか、太陽であり、恵みの雨であろうか。

 人も草と同じで驚異的なエネルギ-を持っている。そこには生まれた時からの生命力と成長力であり、成長の過程で計り知れないエネルギーを蓄える。更に厳しい環境を耐えると強靭な精神力、忍耐力と知恵力を持つようになる。その力を発揮できるのは青年から壯年に至るまでは限りないものだ。

 こうしてみると、人生は歌の文句じゃないけれどいろいろだ。捨てたものではない。この世に生を受けて死ぬるまで人生は喜怒哀楽の繰り返しであり、波乱万丈でもある。どんなにつらい逆境にある人も、いつかは必ず良いときがやって来るものだ。不思議なめぐりあわせである。

   それにしても、人はその反面、非常に弱くもろいものである。どんなに強靭な体力・気力、精神力の持ち主でもふとしたことで萎えることがある。一方、再び立ち直ったり、苦難を乗り越えて再起を果たす人もいる。これが人というものであろうか。

 

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《 浜松市西区神ケ谷町洞雲寺山門の掲示・力強い 今月の言葉 》

 

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 《 散策道の野の花タンポポ 》