浜ちゃん日記 縁は異なもの味なもの 仏の教えは出会うもの

「 縁は異なもの味なもの 仏の教えは出会うもの」

    毎月1日と15日は、洞雲寺境内にあるお墓参りの日としている。ごく普通の檀家である。小雨が降っているせいか少し肌寒さを感じたが、神久呂中学校の桜はこの間つぼみだったのにいっぺんに花が咲いてきた。

 洞雲寺山門の掲示板には、毎月お言葉が掲示されている。今月は「 縁は異なもの味なもの 仏の教えは出会うもの」である。

ご縁 

 前日、歌舞伎俳優・片岡愛之助さん(44)と女優・藤原紀香さん(44)が3月30日に結婚し、31日、東京都内のホテルで結婚発表の記者会見を開いたのを新聞テレビは明るい話題として大きく報じた。この会見の中で、特に魅かれたのは率直な出会いと結婚に至る話であった。

 まさしく 、「縁(えん)は異(い)なもの味なもの」であると思った。男女の縁はどこでどう結ばれるかわからず、不思議なものである。

 人生は、男女の仲に限ったことではなく、人と人とのご縁で結ばれているように思う。「縁」とは、人の力を超えたところで、人と人を結びつける力ではなかろうか。

 人生は結婚だけではなく、仕事・職場・地域等において限りないご縁がいっぱいあるが、往々にして自らそのご縁を大切にしなかったり、断ち切ったりすることもある。本当のご縁を理解出来ないで人生を終えることは惜しいことだ。ご縁を大切にすることは人生を豊かにすることにつながるからである。

出会い     

 毎日花畑に顔を出して、花木に挨拶しているがこれも出合いであろう。それが植物であったり、動物であったりする。万物すべてが出会いではなかろうか。

 日常生活において、毎日がいろいろなものとの出会いである。それをどのように受け止めるかによって人生が変わってくる。つまらないもの、素晴らしいものとみるか、無関心か、感動を覚えるかによって見える形や色が変わってくるものだ。

 何といっても、その中で、人と人との出会いが一番であろう。人生は人の出会いの連続と広がりではなかろうか。他人との出会いの輪を大きくするも小さくするもその人の心にある。

 これと同じように、仏様とのご縁や出会いもそれほど難しく考えることはないように思う。深く経典を学んだことはないが、仏様の教えもごく普通の当たり前の真理・人の道を説いたものと理解しているがどうであろうか。

 亡き父は、郷里鳥取で熱心な浄土真宗の信徒であった。朝晩仏前で御経を上げていた。食膳では「いただきます」「ごちそうさまでした」と教えてくれた。ごく当たり前のことを当たり前に教えてくれた。仏の教えもまさしくこうしたものであろうと理解する。

 先祖や亡き父母・兄姉の冥福を祈るのも仏の教えとの出会いのひとつでもある。

 

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 《 浜松市西区神ケ谷町洞雲寺山門の掲示 》