昭和の航空自衛隊の思い出(264) 西部航空警戒管制団人事部長

1.  西警団団司令部人事部長を命ずる

    昭和58年3月16日付で「西部航空警戒管制団司令部人事部長」に補職された。時に48歳・2等空佐在級3年8ケ月であった。第3術科学校の教官職は1年7ケ月であった。第4科長職は人事幹部へ転進してから一度は就きたいと熱望していた配置であり、自分なりに思い切り職務を果たすことができたので、充実感と満足感のある非常に印象に残った勤務であった。

    今回の転任は、距離的には同じ九州内で芦屋基地から春日基地への異動で、しかも春日基地は10年前の昭和48年に西部航空方面隊司令部に勤務したことがあり、2回目の勤務基地であった。

2.   航空自衛隊における人事発令

.   航空自衛隊には、任命訓令等により一定の人事発令形式があった。

    自衛官生活28年にして初めて、人事発令に「西部航空警戒管制団司令部人事部長を命ずる」と職の指定が行われた。ずばり職名が示されたので発令内容をしずしずと拝見し、職務の重さに身の引き締まる思いがし、感慨深く受け止めたものであった。

 それというのは、幹部自衛官任官以来今までは、航空幕僚長の発する空幕人事発令は新らたに勤務する部隊等名だけであった。「西部航空方面隊司令部勤務を命ずる」「第6航空団勤務を命ずる」「航空総隊司令部勤務を命ずる」「飛行教育集団司令部勤務を命ずる」「第3術科学校勤務を命ずる」であった。

    次いで、勤務部隊等の司令官、団司令、学校長の個別命令によって「人事部人事班に配置する」「人事部人事第1班長に指定する」「第1教育部第4科長に指定する」として、配置指定が行われた。

3.  自衛隊における人事発令等通知

 国家公務員は、一般的に人事院規則等により人事発令・辞令書等が行われている。自衛隊では、任命権に関する訓令等により任免、補職、入所、入校(等)並びに休職、復職、派遣及び昇給についての発令は人事発令とし、人事発令は人事発令通知書等により当該隊員に伝達するよう定められていた。

 自衛隊は陸・海・空3自衛隊とも部隊任務・行動等の特殊性から迅速かつ正確な伝達と簡素を重視した発令形式がとられていたように記憶している。 

 航空自衛隊は、航空自衛隊公報への登載や発令等通知で伝達されていた。当該部隊等に関係するものは電信等により迅速に部隊等に伝達され命令下達された。当日発令された当該部隊及び隊員に関わる人事発令は関係分が記載されており、発令等通知で本人はもとより全員が知ることができた。

 こうしたことから、常に任務行動を旨とする自衛官にとっては、世間一般で言われている辞令書の交付の様子は映画やテレビで見るものであった。

 従って、個々の隊員一人一人に指揮官から辞令書なるものを交付したりすることはなかった。私も35年余の自衛官生活で自分だけが記載されている辞令書なるものをもらったことはなかった。発令等通知で全員の発令内容が記載されている中で、自分に関わるところが朱線でアンダ-ラインされたものが残っている。 

 自衛隊を退官して、自動車保険料率算定会(現損害保険料率算出機構)調査事務所に勤務し、損害調査員、課長、所長等になった折、その都度、世間一般の辞令書なるものをもらうことを初めて経験をした。  

4.   指揮官に対する申告 

 自衛隊と世間一般の会社等と違う所が指揮官に対する申告であろう。社長等から辞令書をもらうことはあっても、辞令の内容を復命復唱することはあまりないではなかろうか。自動車保険料率算定会でも地区本部長から辞令書をもらったり、所長として所員に辞令書を渡したりしたが、自衛隊のような申告ないしは復命復唱はなかった。

    自衛隊生活で、異動・昇任・入校等にあたっては、上官に対して、服装容儀を正して発令事項を申告した。人事発令事項の申告と命令の復唱は自衛隊任務上の基本である。

 今回の転任に当たっては、第3術科学校長福岡靖也将補及び第1教育部長浜島誠1佐に対して「2等空佐濵田喜己は、3月16日 付けをもって、西部航空警戒管制団司令部人事部長を命ぜられました。」と申告した。在任間の勤務と次なる職務に対して激励の言葉をいただいた。

 新任地に着任して第一にやるべきことは、西部航空警戒管制団司令本野順三将補に対して、「2等空佐濵田喜己は、3月16日 付けをもって、西部航空警戒管制団司令部人事部長を命ぜられ着任しました」と申告した。

 この自衛隊における申告は、世間一般の辞令書に勝るものがあった。入隊から退官まで自衛隊に勤務するものは、誰もが自分の指揮官・上司に対して異動・昇任・入校等の都度申告し、自己の任務や職務等を復命復唱することによって再確認し、心を新たにする自衛隊ならではの優れたしきたりであった。

 人事幹部・幕僚として、異動・昇任等の時期になると、司令官・団司令へ申告に立ち合ってきたが、それぞれの階級・職位に応じて、申告は実に重要かつ厳粛な儀式であり、単なるあいさつ程度ではないことであった。

    申告の骨幹を成すものは、厳しい任務の遂行、命令と服従、規律の維持がそこにあるからであった。任免権を有する指揮官、指揮権を有する指揮官の発する命令等を復命復唱することは、命令等の重さを認識すると共に身の引き締まる厳粛な行為であった。

 階級に関係なく、先ず所属隊長に申告する。空士隊員であっても群司令、ときには団司令に申告する機会が与えられる。人事担当者は必要に応じて申告要領を説明し練習をさせることもあった。若い隊員にとっては将官の前で、堂々と立派に申告できれば更に職務に自信がつくものだ。特に昇任時の申告たるやきびきびした服装態度、晴れ晴れとした顔つきと溢れるような旺盛な意欲は忘れ難いものがある。

 

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 《 昭和58年3月、西部航空警戒管制団司令部へ着任して間もなく福田2佐の退官行事に加わった。左前列から防衛部長日下喜伴2佐・監理部長八谷勇喜2佐・団司令本野順三将補‣福田2佐・副司令桜木久壽雄1佐・装備部長吉田陽輔2佐・人事部長濵田喜己2佐 》