老いる雑感(5) 「 老いる姿」と「老いつつある」ことの自覚

 1.家族の中の年寄りの役割

    最近の家庭を見ていると、三世代が一緒に住んでいる家庭が少なくなった。戦前戦後はどの家庭でも、長男一家では、祖父母・世帯夫婦・子と三世代が多く、中には孫・曾孫が見られた。

    家族はそれぞれの役割が有り、高齢者は子供の面倒を見てきた。私も子供の頃はおばあさんに面倒を見てもらったと言い聞かされたものである。活発な子だったとかで、勝手に家の外に飛び出し、子守役のおばあさんが集落の中を追っかけていたとのことであった。
2.子供の目で老いることを学ぶ
    昔の子供たちは、祖父母たちとの触れ合いの中で、老いる姿を子供ながら感じ取り、家族の情愛というものを自然に学びとった。
   そこで子供たちは人間が老いていく様子を身近に見聞し、肉親の死も経験していった。今の子どもたちは大抵の高齢者が施設等に入り、老いる日常を見守ることが少なくなってきた。
   私は農家で育ったので、子供時代はヤギ、綿羊、ニワトリ、ブタのえさやりを担当し動物の生死も経験してきた。狭い世界ではあったが、小さな社会勉強や経験をして成長した。
    どこ家庭も兄弟姉妹が多かった。私の場合は、6人の一番末っ子で兄姉によく面倒を見てもらった。兄姉を敬い絆が強かったのは当然である。兄姉の背中を見て成長し、祖父母との間合いや関係なども教えられてきたようだが、あまり覚えていない。少年時代に少しづつ、人は大人になって歳をとり老いるものだということを自然に学ぶ事になったようだ。
3.「人は皆んな老いる」ことを知る
   今は核家族少子化の時代である。こうした環境は今後さらに進んでいくのであろうか。しかし、家族の数が減ったとはいえ、高齢になるにつれて多くの人は孫、曾孫が増えていくものだ。
    一緒に住めないまでも、一族のふれあい、顔を合わせることによって高齢者の老いていく過程を感じとるものである。「人は皆んな老いていくものだ」ということを感得していくものである。老いていく身体は徐々に萎み動作も緩慢となる。
 小さい頃はそのこと自体がよくわからないものだ。それは当然なことでごくあたりまえのことである。人はそのときわからなくても、いつの日か老いることを理解するようになるもので、それで良いのではなかろうか。
4.   「自らが老いつつある」ことを自覚
 5月には満81歳を迎えようとしている。ひるがえって、自分が老いつつあることを実感するようになるには高齢になっても、しばらく時間がかかった。70歳代の前半は全く老いることの自覚がなかった。実際は老いが始まっているのに気づかなかったように思える。何事も「自分は今までと同じようにできる」と思っており認めたくないという気持ちが強かったのではなかろうか。
 自らの老いを自覚し始めるきっかけは、日常生活で小さな出来事の一つ一つから是認をするようになる。今まで出来たことができなくなるからだ。
 一番の出来事は三つの大きな病気をしたということであろう。何とか乗り切るたびに老いは着実に進んでいるということである。
 生きとし生けるものいずれは老いていくものである。当たり前のことを当たり前に認めることから老後の新しい人生が始まる。「自分が老いつつある」という自覚からどのように自分の人生を展開するかが始まる。