昭和の航空自衛隊の思い出(248) 人事幹部課程学生(2)

    昭和56年8月、第3術科学校第4科長として着任したときの人事幹部課程は創設から数えて55 期であった。昭和30年から26年の歳月を経ていた。
    自分を含めて多くの先輩・後輩がこの課程を巣立っていったことに想いを馳せる時、先人の業績に恥じない勤務をしたいと誓ったものである。
   人事幹部課程学生の構成は、毎期、自衛官防大・部外・部内・3候出身者、事務官は中級・初級・選考と出身区分・期別様々であった。また、女性学生が各期1名在学した。
 
3.第57期人事幹部課程
     第4科長の配置についてから、人事幹部課程学生を2期を送りだしており、課程教育は順調に運営することができた。学校長と第1教育部長の交代もあり、新機軸を打ち出して課程教育の充実と特命課題へ向けて挑戦した。
 第57期人事幹部課程開始にあたって、メモによると次のように述べている。
 

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《 第57期人事幹部課程 s57.5.12~57.9.28、前列左から教官後藤悟准尉・教官中山博2尉・課程主任江口稔1尉・先任幹部野中宏之3佐・副校長桐山敏生1佐・学校長福岡靖也将補・第1教育部長濱島誠1佐・教務課長佐藤達雄1佐・第2教育部長・学生隊長等、筆者は出張中であった。学生は、学生長大窪義勝1尉・   杉本武司2尉・橋本文郎2尉・伊藤正博2尉・折居紀男3尉・水本毅3尉・佐々木吉雄3尉・梅沢好書3尉・杉山忠延3尉・ 肥田木(石田)多恵子3尉・和気島 俊二3尉・真名子寅3尉・小野寺保二3尉・冨田秀正3尉・土屋昇一3尉・野村悟事務官・田中俊治事務官の17名、女性学生の肥田木(石田)3尉は、栄進し1佐として活躍した。》

 

 4.第58期人事幹部課程

  昭和56年8月、第3術科学校第4科長として着任して以来、4期の人事幹部課程を担当し、約1年半の在任で、58年3月16日西部航空警戒管制団司令部人事部長を拝命することとなった。当期の卒業生を見送って、5日後には新任地へ向かうことになった。
 科長職の後段においては、全国の部隊人事担当者にお願いして、各階層における人事実務における最新の失敗・教訓事例の資料収集を行い、各課目の教授に教官の失敗・教訓談だけではなく、収集した参考事例を挙げて部隊の実務に直結した役立つ教育を推進した。さらには、全国の卒業生の先輩から後輩に贈るアドバイスの玉稿をいただいて教育効果の向上に資することにした。
 第58期人事幹部課程開始にあたって、メモによると次のように述べている。
 

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《 第58期人事幹部課程 s57.10.13~58.3.11、前列左から課程主任江口稔1尉・教官小城左親事務官・先任幹部野中宏之3佐・第4科長濵田喜己2佐・教務課長末次信正1佐・副校長桐山敏生1佐・学校長福岡靖也将補・第1教育部長濱島誠1佐・第2教育部長・学生隊長等、学生は、学生長藤岡昇1尉・青山文範2尉・宮内隆雄2尉・椛田由里3尉・上野政教3尉・奥山政勝3尉・今井信宏3尉・八鍬政雄3尉、東輝明3尉・斎藤優事務官・三田村昌守事務官・村瀬靖事務官の12名 》

 

「紳士録」

  各期とも学生は卒業に際して、思い出として特色のあるものを作っている。第58期人事幹部課程学生は、「紳士録」なるものを作成した。教官及び学生の顔写真、58期の特色、教育日程表、授業態様・課外態様の漫画、教官金言、学生の寄せ書き、思いで写真集、各学生の横顔‣同僚評、教官学生の住所など多彩であった。

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《 学生は卒業・原隊復帰の後、新補職された。》

 

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 《 各学生は、部隊等において本領を発揮して大成し、航空自衛隊の人事担当幕僚等として活躍した。》