昭和の航空自衛隊の思い出(246) 術科教育における「教官職」について

 航空自衛隊における術科教育の「教官職」について、昭和57年5月、空幕主催の人事部長等会議に出席した直後、第3術科学校第4科長として、第4科教官全員に話をした内容を記録したものです。

 まず、全国の人事部長等会議に術科学校の一介の科長が参加したことは驚きであった。この人事部長等会議の顔ぶれは方面隊司令部人事部長クラス等が参加し、航空自衛隊の人事全般についての方針、諸人事施策等が主題であったものと思われる。

 その間の事情は忘れたが、人事教育担当の科長が出席したことは、当時の航空自衛隊の人事全般について承知させて、部隊等の実務に直結した教育を実施することを求めたものと理解している。それにしても今から考えても術科教育の現場を重視した大した英断であったように思う。

 

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《 昭和57年5月18日  教育職について、第4科教官に話した内容の要旨 》

 

            教育職について

1.先に実施された空幕主催の人事部長等会議に参加した折、空幕人事教育副部長の矢田浩司将補(空将・飛行教育集団司令官)と懇談する機会を得ました。人教副部長という職は、教育関係を主として見ておられると聞いており、いわば空自における教育の総元締め的存在であります。また、人事畑の大先輩であり、若いころは第4科の教官をされた方であります。

2.矢田人教副部長の話の端々に「教官にとって一番大切なことは、情熱であり、愛情である。」ということばが、さりげなくしばしば出てまりました。そして大げさにいえば、学生教育に寝食を忘れて一生懸命情熱を傾けられた姿が推察され、本当に感銘を受けたわけであります。

 特に、創設期における人事教育は多くの困難な問題を抱えながら行われたと思われますが、我々の先輩たちはバイオニア精神をもってそれに負けず、より充実した教育を求めて積極的に勉強し、後輩の育成に当たってこられたと思います。

 大先輩の矢田将補が教官をやられた当時は、人事総務教育の草分け時代でありますが、そこには我々と同様にあるいはそれ以上に教官職に誇りを感じて創意工夫し、教育に全身全霊をかけて努力された姿が容易に想像されます。

 また、懇談の輪の中に、かつて第4科長をやられた南混団司令部人事部長片野奐1佐、航空警務隊司令の川又喜代次1佐(将補)が加わられ「人事総務教育に対する第4科への期待」を重ねて託されました。こうした諸先輩の激励に対し私は熱いものがこみあげるとともに「第4科の教育は、先輩たちに負けぬようにしっかりやらねばならない。」と心を新たにしたわけであります。

3.そこで「教官にとって一番大切なことは、情熱や愛情」だということを、私は日常の教育の場で次のようにやることだと理解しています。

⑴ 職域の後輩、後継者を育成しようとする意気込み、フアィトを燃やし続ける。

⑵ 部隊等の第一線で指揮官に信頼され、役に立ち、なくてはならぬ存在となる人をつくりあげる。

⑶ 単なる知識・技能の切り売りでなく、職域において最も大切な精神を惜しみなく伝え、植え付ける。

⑷ より良い教育のために、自らの向上を目指し、勉強を続けるとともに常に教材等の準備に創意工夫を重ねる。

⑸ 教務の回を重ねるごとに内容が充実する一方、学生の理解や納得が容易となり、授業内容がよく分かるといわれるようにする。

 教官職というものについての周囲の認識や評価はともかく、我々の心の中には教官職について確固たる自分なりの所信と教育への情熱や後輩、後継者に寄せる愛情をもち続け努力したものです。