昭和の航空自衛隊の思い出(243) 教育技術講話(6 ) 「十を知って、三つを教えよ」

1.教育技術課程学生に対し語りかけた短い講話「教育技術雑感」

  昭和56年8月17日~58年3月15日までの1年6ヶ月、第3術科学校第1教育部第4科長として勤務し、幹部・上級・初級人事課程、空曹要務特修課程、教育技術課程・講習及び上級空曹特別講習の教育担当の責任者となった。各課程教育は課程主任と教官が配置され教育を進める体制にあり、科長の職務は各課程主任及び教官を統括し、管理監督することにあった。

   こうした教育体制下において、科長としての担当課目のほかに、随時、教育課目の合間に当該課程の対象者に応じた内容の短いワインポイント的な講話をすることにした。

    当時のことを振り返ると、当該課程を学ぶ隊員・後輩・後継者に将来の活躍を期待して職域・職務・配置に求められる核心となるものを語りたかった。

   入隊以来、先輩たちに育てられてきた。それなりに隊務を経験してからは、職務を通じて後輩・後継者を育てることを常に心がけてきた。いつの日か教壇に立つ日があるとすれば、自分の言葉で、先輩たちから教えられ、経験したことの真髄を語り伝えたいという夢を抱いてきた。

 その内容は、自衛隊生活で経験し学んだことの中で、是非、後輩隊員・後継者に伝えたいこと、今後の勤務において迷いがあるときの道しるべとなり、職務上悩んだ時、壁にぶつかった時に参考として活かしてもらいたいことなどを自分の言葉で直接語ることにしたものであった。

   特に高邁な話でもなく、学問的なものではない。自衛隊における勤務年数と経験においては学生より数段勤務年数と多種な経験を有する先輩の立場から、教範・教程・配布資料に書かれていない事柄を中心に学生に話しかけた。

 新任教官に対する教育技術課程においては、「教育技術雑感」として7話を講話した。講話をした後、例話など省き、その日のうちに、要旨のみ印刷配布した。

 

2.講話その6 「十を知って、三つを教えよ」 

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     「十を知って、三つを教えよ」 

 1 教育に臨む真摯な努力

 新聞記者は、「十の材料を集めて一つの記事をかけ」と言われているそうであるが、教官は、「十を知って、三つを教える」ことが大切である。

 教官が教育内容について、豊富な知識、技能と特技者精神(心)持って自分なりの授業を展開するには、それなりの周到な準備が求められ、こうした教育に臨む真摯な努力から自信に満ち迫力のある授業が生まれる。 

2 教え過ぎは消化不良となる

 教官が教育の場数を踏み経験を積むにつれ、教育内容についての知識等は増し、自信がつくものであるが、反面、自分で気づかないうちに教育目標以上にㇾベルアップし易いものである。

 教え過ぎは、学生に消化不良を起こし、血と肉とならず、教官の期待に反した結果を生むことがある。「相手を見て法を説け」のとおり、特に、初級、中級課程の教育にあたっては、心すべきことである。

 

3 術科教育本部の教育技術特定監察と受察

    昭和57年6月7日~6月9日の3日間、術科教育本部の教育技術特定監察が当校に対して行われ、第67期教育技術課程(幹部)(57.5.12~6.29・8名)も受察した。これに先立ち教育技術に関する校内の講習の実施を担当した。

 第4科長在任間において担当した教育技術課程は、第66期教育技術課程(幹部)

56.11.4~12.25・8名)、第60期教育技術課程(空曹)(57.1.27~3.12・14名)、第67期教育技術課程(幹部)(57.5.12~6.29・8名)、第61教育技術課程(空曹)(58.1.26~3.11・10名)であった。年間2コ-スのほか短期間の教育技術講習を実施した。私も教官となるので講習を受講した。

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《 術科教育本部の教育技術特定監察を受察した第67期教育技術課程(幹部)(57.5.12~6.29)、前列は左から課程主任渋田保磨1尉・第1教育部長濱島誠1佐・第4科長濵田喜己2佐、後列は学生 》