昭和の航空自衛隊の思い出(240) 教育技術講話(3 ) 「優れたドラマ(授業)作り」

1.教育技術課程学生に対し語りかけた短い講話「教育技術雑感」

  昭和56年8月17日~58年3月15日までの1年6ヶ月、第3術科学校第1教育部第4科長として勤務し、幹部・上級・初級人事課程、空曹要務特修課程、教育技術課程・講習及び上級空曹特別講習の教育担当の責任者となった。各課程教育は課程主任と教官が配置され教育を進める体制にあり、科長の職務は各課程主任及び教官を統括し、管理監督することにあった。

   こうした教育体制下において、科長としての担当課目のほかに、随時、教育課目の合間に当該課程の対象者に応じた内容の短いワインポイント的な講話をすることにした。

    当時のことを振り返ると、当該課程を学ぶ隊員・後輩・後継者に将来の活躍を期待して職域・職務・配置に求められる核心となるものを語りたかった。

   入隊以来、先輩たちに育てられてきた。それなりに隊務を経験してからは、職務を通じて後輩・後継者を育てることを常に心がけてきた。いつの日か教壇に立つ日があるとすれば、自分の言葉で、先輩たちから教えられ、経験したことの真髄を語り伝えたいという夢を抱いてきた。

 その内容は、自衛隊生活で経験し学んだことの中で、是非、後輩隊員・後継者に伝えたいこと、今後の勤務において迷いがあるときの道しるべとなり、職務上悩んだ時、壁にぶつかった時に参考として活かしてもらいたいことなどを自分の言葉で直接語ることにしたものであった。

   特に高邁な話でもなく、学問的なものではない。自衛隊における勤務年数と経験においては学生より数段勤務年数と多種な経験を有する先輩の立場から、教範・教程・配布資料にかかれていない事柄を中心に学生に話しかけた。

 新任教官に対する教育技術課程においては、「教育技術雑感」として7話を講話した。講話をした後、例話など省き、その日のうちに、要旨のみ印刷配布した。

2.講話その3 「優れたドラマ(授業)作り 」 

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     「優れたドラマ(授業)作り」

1 授業はドラマである。

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2 優れたドラマ(授業)作りは、脚本、演出(教案等の充実整備)、役者(教官の専門的知識、技能及び教育技法の向上)及び舞台装置(教育環境、教材等の充実整備)が調和し、一体となって出来上がるものである。

 自前のドラマ(自分なりに納得のいく授業)を作り上げることは、教官としての責務であり、大きな喜びではなかろうか。

 

3 教育技術課程学生

  第4科長として迎えた教育技術課程学生は、3術校の新任教官のほか第1航空教育隊からも2名入校してきた。

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《 第60期教育技術課程  s57.1.27~3.12・14名、前列左から教官平野定男1曹・課程主任渋田保磨1尉・第4科長濵田喜己2佐・第1教育部長野中壽1佐・副校長桐山敏生1佐・第2教育部長・学生隊長等、後列は学生、学生長山中親継・松本保・岩武孝泰・松本武‣前田彰・牧村久夫・肥田木太・森岡傳治・藤田久夫・山本和秀・川上徹・末永俊一・阿比留憲明・吉田貴文の空曹 》