老いる雑感(4) 最後を家で看取られたいか

1.  様々な人生の最後の有り様

    この間新聞を読んでいたら高齢者の約8割が養護施設等で最後を迎えているように理解した。
   近所で、過日なくなった方は自宅暮らし、具合が悪くなった時だけ入院したりして最後家族に看取られながら永眠された。
   またあるテレビ番組で「自宅医療」をテーマとした内容が放映された。医師の訪問診察・看護師の訪問看護・家族の自宅介護で過ごし、明るい笑顔が印象的だった。最後を安らかに家族に看取られるケースであった。こうしたタイプが地域によっては定着し運営されているところもある。
2.   最後は自宅で終わりたい願望
    多くの高齢者がわが家で過ごしたいと願っているが、介護のこと、看病のこと、家庭の事情でままならず、施設等に入って過ごした後、亡くなるケースが多い。
    今日、社会福祉施設等充実したとはいえ、人生の最後という面では、昔の先祖は幸せだった面があったように思えてならない。
    今日は、核家族化し、子供や孫、曾孫たちと一緒に暮らすことができるのは珍しくなった。少数派と言ってよいであろう。
   先日のテレビでも自宅介護のケースが取り上げられていた。大変な苦労がそこにあるようで一口では語れないものを感じた。羨ましい限りであった。お金では買えない家族の支えに感動したものである。
3.  人生の最後の幸せとは何か
    99歳で天寿を全うして亡くなった義母は、恵まれた施設等で過ごしていたが、家に帰りたいとよく言っていた。時折、希望を叶えてあげたが、日帰り程度で一泊することは無理であった。入所の間に高齢者が自宅で生活できる環境や体制は既になくなっていたからであった。
   多くの人にとって最高の幸せは、わが家で暮らし、家族に看取られながら息を引き取ることではなかろうか。
    こうしたことを考えると、今日の家族、生活環境、社会体制等厳しいものがある。
   決め手になる大きな要素は、人生最期の段階でどんな健康状態であるのかに左右されることだ。家で過ごせるかどうかは、最期の最後まで自分のことは多少でもできるかどうかである。  
    自分である程度のことができれば、こうした望みも可能となるが、完全に介護状態となると余りにも家族の負担が重く、その希望は叶えられないことになる。
    前日まで元気にしていたのにポックリと逝くケースが一番であろうが、これ又、ままにならないのが人生であり、終末であろう。人生とはままにならないものだということだけははっきりしている。