昭和の航空自衛隊の思い出(238) 教育技術講話(1) 「基本を学ぶ・守破離」

1.教育担当第4科長として学生に語りかけた短い講話

  昭和56年8月17日~58年3月15日までの1年6ヶ月、第3術科学校第1教育部第4科長として勤務し、幹部・上級・初級人事課程、空曹要務特修課程、教育技術課程・講習及び上級空曹特別講習の教育担当の責任者となった。各課程教育は課程主任と教官が配置され教育を進める体制にあり、科長の職務は各課程主任及び教官を統括し、管理監督することにあった。

   こうした教育体制下において、科長としての担当課目のほかに、随時、教育課目の合間に当該課程の対象者に応じた内容の短いワインポイント的な講話をすることにした。

    当時のことを振り返ると、当該課程を学ぶ隊員・後輩・後継者に将来の活躍を期待して職域・職務・配置に求められる核心となるものを語りたかった。

   入隊以来、先輩たちに育てられてきた。それなりに隊務を経験してからは、職務を通じて後輩・後継者を育てることを常に心がけてきた。いつの日か教壇に立つ日があるとすれば、自分の言葉で、先輩たちから教えられ、経験したことの真髄を語り伝えたいという夢を抱いてきた。

 その内容は、自衛隊生活で経験し学んだことの中で、是非、後輩隊員・後継者に伝えたいこと、今後の勤務において迷いがあるときの道しるべとなり、職務上悩んだ時、壁にぶつかった時に参考として活かしてもらいたいことなどを自分の言葉で直接語ることにしたものであった。

   特に高邁な話でもなく、学問的なものではない。自衛隊における勤務年数と経験においては学生より数段勤務年数と多種な経験を有する先輩の立場から、教範・教程・配布資料にかかれていない事柄を中心に学生に話しかけた。

 そのため、いつなんどきでも話ができるよう、机の中には、課程別のテ-マと内容を常時準備しておいた。課程教育は所定の教育計画に基づいて整斉と進められるが、各教官において教務の進度から余裕が生まれるときがあるものだ。その時はいつでも声をかけるようにお願いしていた。連絡があればいつでも教室に駆けつけて短い話をした。話した後にはその日のうちに、例話など省き、講話の要旨を配付することにした。

    これを称して、ある人事幹部課程卒業生の一人は新しい職務に就くたびに「「はまだごろく」を参考にしています」と便りを寄せてくれた。お世辞半分であるが、関心を持って応えてくれていることに心から感謝したものである。

 

2.教育技術課程学生に対し語りかけた短い講話「教育技術雑感」

 第4科は、3術校等に勤務した新任教官に対する教育技術課程を担当していた。幹部及び空曹のコ-スを設け、教官は課程主任渋田保麿1尉及び平野定男1曹の2名であった。

 ここでは、教育技術課程学生に対して「教育技術雑感」として7話を講話した。講話をした後、例話など省き、その日のうちに、要旨のみ印刷配布した。

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3.講話その1 基本を学ぶ

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 《 学生に話した後に配付したもの 》

教育技術課程開始にあたって 

       「基本を学ぶ」

1 守破離

 本課程のねらいは、「守」の段階であり、物事の基本、原則をしっかりと身につけること、学ぶことにある。

   教官として効率的な教育を行うには、教育技術の基本を知る必要がある。学習にあたっては、本質を掴み、理解しようとする積極的な態度が必要ではなかろうか。

2 本課程後、自己研さんと経験を積むにつれ自分なりの教え方、教育の展開が求められ、「破離」の段階へ進まなければならない。

 しかし、どんなに経験が増しても教育技術の基本を忘れた教育は、ムダが多く十分な成果が期待できないものある。

   優れた教育といわれるものには、内容面で本質や核心をつくものがあり、教育技術面で基本や原則が脈々として生きているものである。

 

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 《 教育技術課程主任渋田保麿1尉・第1教育部長濱島誠1佐・筆者第4科長濵田喜己2佐、当時教育技術課程の教官は渋田保磨1尉と平野定男1曹で、教育技技術が高く、教育への情熱、改善向上・研究心のあふれた優れた教育幹部及び空曹あった。術科教育本部の教育技術特定監察でも高く評価された。 》

 

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《 教育技術課程教官平野定男1曹と筆者、ゴルフも一緒に良くやった。 》