昭和の航空自衛隊の思い出( 236 ) 第3術科学校教育担当第4科長の職務(1)

1.  着任にあたり抱負をもった背景

    昭和56年8月17日付、第3術科学校勤務となり、第1教育部第4科長に指定された。着任にあたって、担当する人事総務教育、上級空曹要務及び教育技術に関して、次のようなことから第4科長としての抱負・目標を持つた。

   初級幹部時代は、鍛えに鍛えられる、育てられ、もくぱら錬成訓練し実力を涵養する時期であった。勤務経験を重ねて、今や与えられた職務を遂行しながら後継者の育成が大きな使命となってきた。

❶ 術科学校本部、航空警戒管制団司令部・各部隊、航空方面隊司令部、航空団司令部、航空総隊司令部及び飛行教育集団司令部の多種多様な勤務経験を積んでの学校勤務であったこと。

❷ 邀撃管制幹部から転進し、人事総務幹部・幕僚として第一線部隊司令部・群本部勤務を経験し班長として班員を指揮統率する職務を遂行した結果、人事総務職域の部隊現場で経験する大抵のことは実務経験し着実に職務遂行能力が伸長したこと。

❸ これらの部隊勤務を通じて人事総務に関する術科教育に部隊は何を期待しているのか、どんな面に重点をおいて欲しいか、と自分なりに考えてきたこと。人事課程は、空曹時代に初級人事員課程を学び、次いで人事幹部課程を修了したことから平素から術科教育に関心を持っていたこと。

❹ 以前から一度は、後継者育成の術科教育の現場に立ちたいと願っていたことから、もし教育に携わるとしたらこうしたいという自分なりの教官像・教育者像を作り上げていたこと。

❺ 今回の人事異動は学校本部の勤務ではなく、直接、学生の教育に従事できること、しかも一教官ではなく職域教育の責任者のポストであるということから職域隊員・ 後継者の育成という最もやり甲斐のある仕事をすることができる立場にあったこと。

   

2.  教育担当第4科長の職務と抱負

    こうした状況・背景のもとで、母校の人事総務の術科教育の現場責任者となれとの異動の内示を受けてから塾考した。自分に課された使命は何か、課程教育に取り組む方向と重点を決め胸に秘めた。

   術科学校において科長職はあまたあるが、「3術校4科長」のポストは一つしかない。自分にとっては最高の職務であり、最初にして最後の教育現場での任務と理解した。 限られた在任期間に全身全霊をもってその役目を果たしたいと思った。時に自衛隊歴26年・階級2佐・46歳の中級幹部であった。

  当時、自衛隊勤務も最終コ-スに入っていた。他人から見ればそれほど高いポストとは見られないが、職域の後輩隊員を育成するという視点からは、直接、教官及び学生と触れ合うことができる科長職は自分にとって最高に誇り得るものであった。

 次のような抱負をもって、晴れ晴れとした顔で着任した。   

❶. 航空自衛隊一の術科教育を目指したい。

 第4科が担当実施する教育は航空自衛隊一を目指すという明確な目標を掲げて取り組みたい。
    このため教育内容、教授計画及び教授要領を積極的に見直して改善すべきところは改善充実しよう。
❷.  実務に直結した実戦向きの教育を行いたい。
 部隊において実務に役立つ実戦的な教育を行う。人事業務は関係法規等に基き適正な人事管理に資する教育を徹底する。
   このため部隊等との連係を重視し、要望を教育に反映してみたい。 
❸.職域隊員の育成に熱誠と期待をもって邁進したい。
    職域隊員・後継者育成は長年の念願であった。こうした機会は二度とないであろう。科長という職務を通して人事総務の在り方と精神、指揮官の指揮統率と部隊運営に資する補佐要領を自分の言葉で直接、学生に伝えたい。 
❹. 職域隊員・後継者育成に情熱を注ぐ優秀教官を育成したい。 
    教官陣は職域の優秀者が揃っていたが、必ずしも有能な実務者即優秀な教官・教育者とはかぎらない。持てる資質能力を引き出し、輝く教官を多く生み出すのが科長の役割である。それは、課程教育は、各課目を担当する教官によって行われるからだ。科長がどんなに頑張っても担当する課目と教授は限られている。
   管理者として、各教官が優れた教育を行い、輝やく教官になれるように教育の場・環境を設営し、優れた教育ができるよう脚本・演出・監督役を担うことであった。教官と学生の接点において陰の役割を果たすことであった。
 
 3.課程教育の状況把握と改善向上の取り組み
 8月17日付、第3術科学校への転任に伴う移動・官舎入居など勤務体制を整えて、教育部長野中壽1佐、学校長栁田義人将補への申告を終えて、新職務に就くことになった。
   第4科の先任幹部である野中宏之3佐から状況報告を受け全般状況を把握した。
 当時、主任務の課程教育は第55期人事幹部課程(56.4.22~9.11・16名)、第4期中級人事員課程(56.8.12~10.23・14名)の2コ-スが進んでおり、すぐに、第43期上級人事員課程(56.8.26~12.22・15名)、第9期初級人事員課程(56.9.9~10.30・10名)が始まる状況にあった。
 次いで、年内は第56期人事幹部課程(5610.14~57.2.26・15名)、第66期教育技術課程(56.11.4~12.25・8名)、第11期要務特修課程(5611.14~12.18・20名)が予定されていた。
   最大の行事は、第3術科学校が11月10日~13日の4日間、術科教育本部長の教育訓練検閲を受閲することになっていた。 
 
4.訓練検閲受閲準備と抱負実現の好機
 第3術科学校に対する術科教育本部長の教育訓練検閲は着任早々の私にとっては、最大の厳しい試練であった。
   与えられた期間は短かったが、課程教育を整々と進めながら教案・教授の進め方等の改善を実施、一方、検閲対処に全力を傾注し、受閲準備をする両面作戦を遂行した。両面作戦は一対の一体となった作戦内容とした。
   いきなり科長としての指揮統率と実力を問われることになったが、あらゆる面で「実行」というチャンスが与えられた。まさに抱負を実行する好機であった。俗に言う「ピンチはチャンス」であった。
 過去の部隊勤務においては幾度か訓練検閲等の受閲を経験し、かつ、上級司令部勤務において検閲‣監察団の一員としての経験から、重点を決めて直ちに準備を開始した。
 教育訓練検閲の目的、意義を全教官に周知徹底し、教育内容・教案・教授要領と学生側の理解度・視聴覚機材の活用・学生管理など点検確認し、全教官が一致団結して改善向上を図った。
 新任の科長にとって、学校挙げての総決算の訓練検閲は「待っていました」と考え、あらゆる面でチャンスが与えられたと積極的に受け止めた。着任にあたっての抱負を披歴するまでもなく、一気に科の全教官を束ね一点に総力を傾注できる状況と環境を与えられたのであった。  
    有事になると日ごろの練成の成果を発揮するのが自衛隊の特性だ。全員が一致協力して検閲諸準備の過程で着任の抱負の大部分を実行することとなり、受閲体制を確立することができると確信した。
 したがって、検閲により高い評価を受けることが、将来の第4科の運営基盤を強化することになるとの信念のもとに指導した。
 特に、「術科教育の実施」と「教官の識能」に重点をおき、どの教官が指名されても自信を持って教授ができるよう随時、観察し個別指導を徹底した。校内の授業観察では積極的に手を挙げて第三者に観てもらうようにした。
    検閲の術科教育では、第4科においては「上級人事員課程」が指定受閲し、その評価は「優秀」とされた。
 訓練検閲に向けての改善向上策と検閲における課程教育の評価を基にして、全課程について日本一の術科教育を目指す基盤が確立されていった。次からは積極的に新しい任務に立ち向かうようになった。
 

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 《 当時の基地新聞の切り抜き記事である。術本訓練検閲において、総合「良好」、その中で「技術の教育」では1教部の「上級人事員課程」と2教部の「初級消防員課程」の2課程が「優秀」と評価された。教官は課程主任星子精健1尉で、学生と教官が一体となった教育が高く評価された。》