浜ちゃん日記 天寿を全うし大往生すること

   先般、地区のシニアクラブ連合会の役員会が行われた。役員の一人に御年98歳で毎週カラオケとゴルフを楽しみ、このたび車は新車にかえたとの話を聞きびっくりした。実に役員として立派に会計担当の業務を果たされており、その意欲に敬服したものであった。
 新春を迎えて連日、長姉のほか知人の葬儀に参列した。いずれも90歳以上で天寿を全うした方ばかりであった。年末前後には自衛隊時代の同期生、上司・同僚・部下、自算会で一緒に仕事をした方の訃報を多くいただいた。自分の80歳という歳を考えれば当然のことなのかもしれない。
 昨日は、94歳で天寿を全うし大往生した長姉の家族葬・お別れに埼玉方面に早朝から新幹線二つに乗って行ってきた。6人兄弟姉妹で私が一番下だ。4人が逝ってしまい姉と自分だけになってしまった。兄弟姉妹の間でもどちらが先に逝くかは順番も序列もない。肉親との別れはつらいがこれ人の世の定めである。
 戦国の織田信長の時代、人生50年といわれていたが、今日、高齢化社会となり、平均寿命・健康年齢が話題になる世の中となった。生きとし生けるものの寿命はいつかは終止符が打たれる。生あるものはいつか死す、自然界の哲理である。何人といえども逆らえないものだ。
 人間というのは勝手で不思議なものだ。自分の死についてはあまり考えていない。他人事のよう思もっている面がある。感じていないといった方が正しいのかもしれない。そんな歳になったのかとは思いながら今元気なせいでそう思うのかもしれない。
 自分の寿命は神や仏さまが知るのみである。ひとたび病に伏し、体が動かなくなったら時になって感じるようになるのであろう。それでよいではなかろうか。己の運命は知る由もないし、あれこれ考えても、くよくよしても始まらない。なるようにしかならないものだ。
 98歳の先輩の姿を拝し、人間やるべき・やりたい目標を持つこと、明るく毎日を過ごすこと、体と頭を使うこと、世のため人の為になることがあれば少しでお手伝いをすること、などをしみじみと感じている。どこまで出来るかやってみたいと思う。
 

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 《  平成28年2月1日東京駅20番線、格好の良い新幹線の列車にデジカメをむけた。》