昭和の航空自衛隊の思い出(232) 飛行教育集団司令部離任

  昭和54年8月1日 航空総隊司令部から飛行教育集団司令部へ着任し、人事部人事第1班長として勤務しているうちに2年が過ぎ、56年8月17日付で第3術科学校(第1教育部第4科長・2佐職)勤務を命じられた。

 転任に当たっては、部員の皆さんが舘山寺温泉1泊の送別会を開いてくれた。仕事については、毎回、前回より良い作業を求め、厳しくを自認していた。また、一方、日ごろ皆に公私にわたり自分の失敗をよく話していた。事なかれ主義ではなく、皆が失敗を恐れず前向きに挑戦することを目指したからに他ならなかった。

 着任以来2年間奨励してきた川柳づくりと披露もすっかり定着し、送別会でも、読み人知らず部員作の送別川柳を多くいただいた。どれもこれも心当たりがあり苦笑する物ばかりで、全員が爆笑の連続で、笑いのある職場づくりができたことに手ごたえを実感し心から感謝した。

 

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《 「1班長の発案川柳づくり お陰で仕事はそっちのけ」 幹事長の矢野五三夫事務官と補佐役の松田隆政2曹 》

 

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 《 「転勤の話が決まり なぜだろう 心な〇か元気な〇人事1班」》

 

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 《 「人事部の仏の班長慕いつつ 芦屋へついていく名物男」》 

 

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《 「伊勢参り帰る車 鍵奉納」 不覚にも車の鍵を落としてしまい、翌日再び予備鍵を持って帰還した伊勢の失敗 》

 

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 《 「浜風去り デンジコ管理者一安堵」各種の資料作りでコピ-紙とインク消費 》 

 

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 《 お嬢さんまでお手伝い申し訳なし ドジョウ掬い 》

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 《 転任に当たって贈呈された斎藤衞1尉筆書なる色紙、「浜千鳥 田井に舞いおり 喜きことをあまた残して 己位に翔んででゆく」.わが家の奥の間に現在も飾ってある。私だけのお宝である。感謝あるのみ。 》