昭和の航空自衛隊の思い出(227) 飛行教育集団司令部人事班長(1)

1.   人事第1班長の職務と事案対処

 昭和54年8月~56年8月まで2年間、飛行教育集団司令部に勤務し人事部人事第1班長を務めた。班長の職務は、2佐のポストで自衛官人事に関する業務を担当し、班内は庶務係・幹部自衛官人事係、准曹士自衛官人事係及び服務係から成り10名前後の班員であった。

   班長は司令部活動では自衛官人事に関する主任幕僚であるが、班においては少数精鋭を率いる指揮官であるとの気構えで諸業務に対処した。「事務屋になるな」と日常業務処理が即練成訓練であるとの意識を持つことを強調したので班員にとっては厳しい班長であったと自認している。その分全員で懇談等をする機会を多く持っことに努めた。

 突発事故の発生に際して全力対処しお互いを鍛えあったので全員が歴戦の戦友となった。ある日の夕刻起きた事案の時にはそのまま朝方まで全員で調査報告作業をまとめ、私が一番の新幹線で空幕へ行き人事教育部長の元へ報告したことがあった。

 また、あるときは懇親会の最中に事案の発生を聞くや直ちに宴会を取り止め司令部に全員かえって事案の掌握と調査報告書をまとめたこともあった。危機に際して、中途半端な対応ではなく全力対処することにした。人事部門の練成は突発事故の対処が即有事における実力となるものであり、平時の事案発生、ピンチは練成のチャンスであるとの考えの基に対処したものであった。こうした危機に際しての対処は全員の心が一致し一睡もしなくても平然として立ち向かったものである。

 従って、一緒に仕事をした班員はどこに行ってもどんな状況下でも職務を遂行し実力を十分発揮できると自信をもって送りだした。

 人事業務の内容は、任免・補職・昇給・表彰・懲戒等であるが、当司令部の特色は操縦教育履修者に関わる人事業務があったことである。

 隷下部隊は、第1航空団・第4航空団・第11飛行教育団、第12飛行教育団、第13飛行教育団及び航空学生教育隊であった。

 第1操縦学生出身者として、23年後に航空学生教育隊をはじめ航空自衛隊の操縦教育に人事幕僚として関わることに因縁を感じたものである。

 

2.  お世話になった仕事仲間を大切にする

 自衛隊に入隊して以来、自衛官生活は組織集団の一員であり、指導を受け育てていただいた部隊・上司、一緒に仕事をした仲間を大切にすることに心掛けた。「一期一会」のことばのごとく、毎日の人と人とのふれあいを大切にしたいと思った。

 つまるところ何らかの形でお世話になった方はすべて自分を育て盛り上げてくれた方であった。当時も今日に至るも感謝の念でいっぱいである。そこには階級・職位・上下といったことは関係ないことであった。この世を去るまで感謝の念を持ち続けたいと思っている。 

 

3.  隷下部隊の人事担当者 

 飛行集団司令部在任間、隷下部隊の人事担当者とは毎日電話等で調整した間柄であり、多くの人事仲間のことがいまでも記憶に残っている。紙面の関係で団司令部等を中心に記載し、飛行群、整備補給群、基地業務群については省略した。人事係空曹の皆さんの中では特に関係の深かった方のみとした。ここでも大変お世話になったとの思いが強く感謝あるのみである。(階級等は当時のものとした。)

第1航空団・人事部長湯浅充2佐→今福美智夫2佐・人事班長高橋守男3佐・片岡廣己2曹

第4航空団・人事部長内藤猛2佐→足立定雄2佐・人事班長神之園一男1尉

第11飛行教育団・人事班長松本淳3佐・佐伯操1曹

第12飛行教育団・人事班長原忠生1尉→毛利毅仁3佐・林田英機1曹

第13飛行教育団・人事班長奥田裕1尉→松田英敏3佐・神代俊道1曹

航空学生教育隊・人事班長草野幸男1尉→福田博1尉・木森泰彦1曹

 

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 《 昭和55年度飛行教育集団人事主務者会議、幕僚長小野正明将補、人事部長小澤重信1佐を囲んで各部隊人事班長左から神之園一男1尉・奥田裕1尉・高橋守男3佐・松本淳3佐・原忠生1尉・草野幸男1尉、後列は司令部人事部幕僚等左から馬場克彦准尉・斎藤衛1尉・高田赳夫3佐・濵田喜己2佐・摺澤清2佐・柏木弘臣3佐・目黒松治事務官 》 

 

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 《 昭和54年度飛行教育集団事務官等人事担当者講習、幕僚長小野正明将補、人事2班長・目黒松治人事管理官、筆者濵田人事1班長と一緒に各部隊事務官等担当者 》

 

3.   空自の人事担当者との交流

 昭和48年8月西部航空方面隊司令部を皮切りに、航空総隊司令部及び飛行教育集団司令部における人事幕僚を務めたことにより全国の部隊等の人事担当者との交流が拡大した。

 この時点で航空幕僚監部の人事部門はもとより航空自衛隊の主要な部隊等人事担当者と何らなのつながりを持っようになった。人事業務を行う上で多くの人事担当者を知ることができたことはその後の人事総務教育の担当及び空幕人事第2班長として職務遂行に当たって極めて有益なものとなった。

❶ ちなみに、メモによると昭和54年8月頃の航空自衛隊の各部隊等人事担当者はつぎのおりであった。

《総隊》

《総隊司》部長山田稔1佐・班長船橋通郎2佐

《北空》【北空司】部長倉持静雄1佐・班長今福美智夫2佐【2空団】部長有馬担2佐・班長山岡厳1尉【3空団」部長木村健治2佐・班長清水忠雄1尉【北警団」部長森住八郎2佐・班長水越照夫3佐【3高群】班長石坂勝美1尉【6高群】班長田代康雄1尉【北施隊】本部班長斎藤修二3佐

《中空》【中空司】部長竹本教道1佐・班長宮崎弘2佐【6空団】部長谷口輝明2佐・班長山本得立3佐【7空団】部長菊本十四治2佐・班長星子精健1尉【中警団」部長天沼幸雄2佐・班長諏訪本正司3佐【1高群】班長赤間盛志3佐【4高群】班長橋本多磨1尉【中施隊】企画班長原昌孝2佐

《西空》【西空司】部長吉田孝1佐・班長髙橋和夫2佐【5空団】部長青山幸光陽2佐・班長岡元親男1尉、【8空団】部長島田満喜2佐・班長久賀民雄1尉【西警団」部長柴田更六2佐・班長野中宏之3佐【3高群】班長森省二1尉【西施隊】企画班長佐竹敏行3佐

《南混団》【南混司】部長木通博行1佐・班長安村博2佐【83空】班長杉山菊夫3佐【南警隊】班長占部務3佐【5高群】班長和田重信3佐【那基隊】班長小勝基弘2尉【南施隊」本部班長久米川幸春3佐

【偵空」菊池孝夫1尉【防指群】班長町田清彦3佐【プロ管】班長鈴木担仁1尉【総司飛】班長永江輝男1尉 

《飛集団》

【飛団司】部長小澤重信1佐・班長濵田喜己2佐【1空団】部長湯浅充2佐・班長高橋守男3佐【4空団}部長内藤猛2佐・班長神之園一男1【11教団】人事班長松本淳3佐【12教団】班長原忠生1尉【13教団】班長奥田裕1尉【航学隊】班長草野幸男1尉

《輸空団》【団司】部長渡邊右二2佐・班長安長豊3佐【1輸隊】班長江口稔1尉【2輸隊】班長西山健一1尉【3輸隊】班長小田俊彦1尉

《管気団》【団司】部長佐藤信1佐・班長村松洋2佐【管制群】班長古川久雄3佐【気象群】班長二枝貢3佐

《空救団》【団司】部長三井良彦2佐・班長松原泰弘1尉【飛行群】班長兼松原泰弘1尉【整備群】総括班長助川政三准尉

《直轄部隊》【空実団】班長西山勇3佐【1教隊】科長中川正信1尉【2教隊】科長井原昭夫3佐【中通群】班長伊藤保1尉【教高隊】班長松棟久臣2尉【医実隊】班長橋本正1尉【警務隊】科長山根敏明3佐【教整隊】班長古川貞二3佐【資作隊】係長滝田明男事務官【調査隊】班長鬼塚弘2尉【空音隊】班長鈴木利重1尉【中業隊】班長大嶋友増3佐

《学校》【幹校】班長目黒文規3佐【幹候校】班長田中鉦順2佐

《術本》【術本】部長山田昇1佐・班長宅美志郎2佐【1術校】班長宮村純3佐【2術校】班長新宅規宏1尉【3術校】班長藤本賢一3佐【4術校】班長吉田穣3佐【5術校】班長山口映3佐

《補給処》【補統】班長磯岡秀夫2佐【1補】班長寺崎武士3佐【2補】班長伊藤弘3佐【3補】班長吉武正和3佐【4補】班長安田八郎3佐

《病院》【岐病】班長福田博1尉【那病】班長桜本栄作事務官

 

❷ メモによると、昭和55年8月頃の航空自衛隊の各部隊等人事担当者はつぎのおりであった。

《総隊》

《総隊司》部長矢島精三1佐・班長船橋通郎2佐

《北空》【北空司】部長石本雅章1佐・班長水越昭夫2佐【2空団】部長都甲芳孝2佐・班長吉岡元3佐、【3空団】部長宅野雅香2佐・班長清水忠雄1尉【北警団」部長森住八郎2佐・班長鎌田聰3佐【3高群】班長石坂勝美1尉【6高群】班長田代康雄1尉

《中空》【中空司】部長近藤治之1佐・班長二枝貢宮2佐【6空団】部長藤原元司2佐・班長高田赳夫3佐【7空団】部長菊本十四治2佐・班長牧野義雄3佐【中警団」部長宮崎弘2佐・班長山本得立3佐【1高群】班長赤間盛志3佐【4高群】班長西永輝3佐

《西空》【西空司】部長村上昭吉1佐・班長髙橋和夫2佐【5空団】部長大石寛郎2佐・班長岡元親男1尉、【8空団】部長岡崎昭治2佐・班長久賀民雄1尉【西警団」部長柴田更六2佐・班長野中宏之3佐【3高群】班長新宅規宏1尉

《南混団》【南混司】部長飯森泰太1佐・班長河野光善2佐【83空】班長杉山菊夫3佐[南警隊]班長占部務3佐【5高群】班長西山健一1尉【那基隊】班長高山惠臣1尉【偵空」菊池孝夫1尉【防指群】班長町田清彦3佐【プロ管】班長鈴木担仁1尉

《飛集団》

【飛団司】部長小澤重信1佐・班長濵田喜己2佐【1空団】部長今福美智夫2佐・班長江口繁治1尉【4空団}部長足立定雄2佐・班長神之園一男1尉【11教団】人事班長松本淳3佐【12教団】班長毛利毅仁3佐【13教団】班長奥田裕1尉【航学隊】班長草野幸男1尉

《輸空団》【団司】部長天沼幸雄2佐・班長安長豊2佐【1輸隊】班長江口稔1尉【2輸隊】班長目黒文規3佐【3輸隊】班長和田重信3佐

《管気団》【団司】部長木通博行1佐・班長村松洋2佐【管制群】班長橋本多摩1尉【気象群】班長松原泰弘3佐

《空救団》【団司】部長三井良彦2佐・班長市原敞雄3佐

《直轄部隊》【空実団】班長古川久雄3佐【1教隊】科長山岡巌1尉【2教隊】科長井原昭夫3佐【中通群】班長諏訪本正司2佐【教高隊】班長松棟久臣2尉【医実隊】班長橋本正1尉【教整隊】班長古川貞二3佐【中業隊】班長大嶋友増3佐

《学校》【幹校】班長髙橋久八3佐【幹候校】班長甲斐道明3佐

《術本》【術本】部長山沖和人1佐・班長宅美志郎2佐【1術校】班長宮村純3佐【2術校】班長田中徹二3佐【3術校】班長藤本賢一3佐【4術校】班長小西友彦3佐【5術校】班長山口映3佐

《補給処》【補統】班長磯岡秀夫2佐【1補】班長寺崎武士3佐【2補】班長伊藤弘3佐【3補】班長吉武正和3佐【4補】班長安田八郎3佐

 

❸ メモによると、昭和56年8月頃の航空自衛隊の各部隊等人事担当者はつぎのおりであった。

《総隊》

《総隊司》部長矢島精三1佐・班長渡邊融弘2佐

《北空》【北空司】部長石本雅章1佐・班長水越昭夫2佐【2空団】部長都甲芳孝2佐・班長吉岡元2佐、【3空団】部長宅野雅香2佐・班長清水忠雄1尉【北警団」部長森住八郎2佐・班長石坂勝美3佐【3高群】班長上原正之1尉【6高群】班長草野幸男1尉

《中空》【中空司】部長雨宮慶明1佐・班長二枝貢宮2佐【6空団】部長藤原元司2佐・班長高田赳夫3佐【7空団】部長羽部義國2佐・班長中野久義1尉【中警団」部長宮崎弘2佐・班長首藤宇3佐【1高群】班長渡邊伊佐雄1尉【4高群】班長西永輝3佐

《西空》【西空司】部長下川正1佐・班長山本得立2佐【5空団】部長髙橋貞敏2佐・班長桑原主税3佐【8空団】部長摺澤清2佐・班長工藤博3佐【西警団」部長瀬尾孝文2佐・班長杉山菊雄3佐【3高群】班長新宅規宏3佐

《南混団》【南混司】部長片野奐1佐・班長河野光善2佐【83空】班長岡元規男1尉[南警隊]班長占部務3佐【5高群】班長西山健一1尉【那基隊】班長高山惠臣1尉【偵空」田中富士人1尉【防指群】班長赤間盛志3佐

《飛集団》

【飛団司】部長小澤重信1佐・班長重政寶爾2佐【1空団】部長今福美智夫2佐・班長江口繁治1尉【4空団}部長足立定雄2佐・班長神之園一男1尉【11教団】人事班長松本淳3佐【12教団】班長岡村州二3佐【13教団】班長松田英敏3佐【航学隊】班長福田博1尉

《輸空団》【団司】部長早開寛治2佐・班長安長豊2佐【1輸隊】班長鈴木利重1尉【2輸隊】班長目黒文規3佐【3輸隊】班長和田重信3佐

《管気団》【団司】部長江口勝1佐・班長村松洋2佐【管制群】班長橋本多摩1尉【気象群】班長松原泰弘3佐

《空救団》【団司】部長三井良彦2佐・班長市原敞雄3佐

《直轄部隊》【空実団】班長古川久雄3佐【1教隊】科長山岡巌1尉【2教隊】科長阿部広孝3佐【中通群】班長伊藤保1尉【教高隊】班長鎌田聰3佐【医実隊】班長橋本正1尉【教整隊】班長古川貞二3佐【中業隊】班長菊池孝夫3佐

 

 4.  昭和54年当時の航空自衛隊の 編制組織

 

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