昭和の航空自衛隊の思い出(222) 航空総隊司令部における次席幹部の役割

 1.その時何を考え立ち向かったか 

    「昭和の航空自衛隊の思い出」は、昭和30年6月から平成2年3月まで35年余にわたって航空自衛官として部隊・機関・団、方面、総隊の各級司令部・航空幕僚監部に勤務した。この間どんなことを考え立ち向かったのか人生の総決算としてまとめがらブログ化しているものです。
 特に才能に優れたり、飛び抜けた功績があったわけでない。言うなればどこにいた普通の自衛官の一人であった。強いて言えば操縦学生から転進した部内幹部出身であったということぐらいであろう。
 航空自衛隊は、創設60周年が過ぎ、昨年は長年待ち望んだ安保法制が不十分ながらも成立し新しい時代を迎え発展しつつある。こうした中で、昭和の航空自衛隊の全体像を私ごときが語ることなど毛頭考えてもいないし、出来ることではない。
    大組織にあって、一隊員の勤務経験などたかがしれているが、私が歩んだ足跡を基軸に自衛官人生を綴ることはできる。
    その主点は昭和の航空自衛隊に勤務した当時を回想し、自衛官の勤務経験と生活を軸に、どのように勤務し、どんな問題と取り組み、何を考え、行動したか。どんなことに悩み、立ち向かったかなどを「昭和の航空自衛隊の思い出」として綴っているものです。
 自衛官生活を振り返って、昭和の自衛隊は、すべての隊員に「創造」「挑戦」「前向き」が求められ、その気になればいろいろなことができた時代であった。
 
2.司令部各部各班における中間に立つ幹部の役割
 航空自衛隊の組織で共通するものに、幹部と准尉・空曹・空士及び事務官の構成の中で中間に位置する者の役割は重要である。部隊で言えば幹部と空曹空士の間に立つ先任の准尉であり曹長であったりする。
 航空総隊司令部においては、部及び各班の人員構成の中で主力は幹部であり、補佐役の空曹の比率は低い。幕僚組織の職務の特性から幹部の比率が高くなるのは当然である。こうした関係から部長・班長とその他の部員との中間接点にある幹部の役割が重要となってくる。
   航空総隊司令部には、各部とも優秀な人材が配置されていた。人事部各班の中で私の位置づけは部長1佐、3個班長 2佐に次ぐ、3佐で尉官・空曹・事務官の中間であった。部の各班所掌業務以外の福利厚生、親睦会などこうした類いことは中間に位置する私の役目で、人事部長の隠れた参謀役としての役目を果たしていくことに努めた。
 いかにして明るいい人事部を作るか、各班相互の横の連携と調和を作り上げるかが大きな役目であると考えた。
 幸いにして、私の次の2番手の内野英昭1尉とは若い時代に内務班長と班員の関係で過ごした仲であったので話し合って連携し積極的に補佐してくれた。
 部の懇親会なども従前の飲み会的なものから新しいアイディアで楽しくかつ印象に残るものに転換した。その狙いは懇親の成果と心を通わすということであった。こうした積み重ねにより部の融和団結と有機的な組織活動につなげていくことであった。
 司令部を離れるころには、地道な積み上げの結果であろうか、総隊司令部各部の対抗のバレ―ボ―ル大会、卓球大会では優勝した。
 
3.部各班の融和団結を求めて 

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 《 人事部長高浪淳1佐を囲んで人事部のメンバ-、前列左から訓練班長渡辺学2佐、厚生班長山内健康2佐、人事部長高浪淳1佐、人事班長舟橋通郎2佐、職員班長富士高昭一事務官、後列は人事部員、内野英昭1尉・渡邊今佐雄1尉・梶田ミチ子3尉・熊谷利久田太事務官・大山権夫1曹・河野通1曹・岡田正夫1曹・内野敬道2曹・熊谷清司2曹・佐原孝喜3曹・内山将子士長と訓練・厚生係空曹 》
 

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《 昭和54年2月人事部長高浪1佐の離任にあたっては、各人に作ってもらった高浪部長の在任間の指揮統率ぶり・お人柄・エピソ-ドを含めた思い出の川柳を送別会の席で披露した上で贈呈した。大変感動され喜んでいただいた。》 

 

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《 話題性のある遊びの要素を取り入れて、懇親会を盛り上げた。》 

 

 

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 《  昭和54年7月末、人事部長 山田稔1佐を囲んで、左職員班長富士高昭一事務官と右筆者の送別会、7月1日2佐へ昇任し、8月1日付で飛行教育集団司令部人事第1班長に指定された。 》

 

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 《 昭和54年7月末、富士高昭一事務官と筆者の送別会、バレ―・卓球優勝会 》