浜ちゃん日記  平成28年 謹賀新年

 新しい年を迎えた。元日朝は早起きをし、雑煮を食べた後、6時に自宅を車で出発、遠州灘篠原海岸で初日の出を迎えた。就寝した時にはできればそうしたいと思っていたが、眠りから覚めたら、すっかり歳のことは忘れて、今年も「まだまだヘコ垂れてたまるか」と気迫がみなぎってきたので、この調子なら大丈夫と防寒装備をして一人で出掛けた。

 寒気の中にも延々と続く遠州浜には何百人もの人が黒山のようにつらなり、初日の出をいまか今かと待っていた。太平洋の打ち寄せる波は美しく、遠くには大タコが数個大空に上がっていた。

 あいにく東の空には地平線に雲がかかっており、日の出を迎えたのは定刻より数分遅れていた。雲の上部が朝日で染まり、しばらくして初日の出を拝むことができた。

 登山をして山頂で迎えるご来光と同じで、朝日はまぶしく,神聖にして厳粛な気持ちになるものだ。人の心に希望を与える光である。

 カメラの腕は一向に上がらないが、初日の出を撮ることもできて満足して8時前には帰宅した。今度は服装を整えて、夫婦そろって洞雲寺、敬雲寺へ詣でて先祖に新年の挨拶をした。地域の神久留神社、神原神明宮にも参拝した。

 洞雲寺山門の掲示にある1月の言葉「生かさるるいのち尊し初日の出」は誠にいいことばである。私にとってはまさしく「生かされた命」だからだ。

 今年は81歳となる。大病・再発転移せずにほどほどに普通に過ごせればよいと思っている。高齢期の日常生活の質は、健康の程度に左右されるもので、普通に生活できるかどうかにかかっている。

 清々しい今朝を過ごした後、配達された多くの年賀状を拝見した。今年の年賀状は手づくりの印刷とし、大部分が直接顔を合わせる機会がなく年賀のやり取りだけとなったので近況を認めることにした。多くの知友とは再び会うことはないと思われるが、年賀状の一枚一枚にご縁で結ばれたいろいろなことが浮かび今年も年賀状を出せてよかったと思った。

 ブログの今年の目標は、「昭和の航空自衛隊の思い出」を完結したいと思っている。

 「昭和の航空自衛隊の思い出」は、私の35年余の自衛隊生活の自分史であり、一自衛官がその時何に悩み、どんなことに取り組んできたかの記録でもある。これから綴ろうとしている終盤の10年間は、自衛官人生の中で最もやるべきことをやり遂げたという実感と満足感をもった期間であった。

 昭和30年1月陸上自衛隊、同年6月航空自衛隊に入隊以来、自衛官として営々として培ってきた識見技能を発揮して自衛隊勤務の中で最も自信と主体性・主導性を持って、職務に専念できた時期であったからである。

 航空総隊司令部の勤務を終えて、階級は2佐~1佐、次の飛行教育集団司令部人事第1班長、第3術科学校第4科長、西部航空警戒管制団司令部人事部長、航空幕僚監部人事課人事第2班長及び調査隊副司令として勤務した期間であった。

 老兵は、天下国家のことについては、資料収集・調査・研究分析・評価した結果の策案と所論を持ち合わせていないので静かに見守ることとし、時折、自衛隊OBから見た所感をブログ「元防人雑感」で触れることとしたい。

 

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 《 いつもの通り祝日には玄関に国旗を掲げた。暗いうちに出かけたが帰ってきた時には家内が国旗を出してくれていた。この辺は元自衛官の妻であり感謝あるのみ。》

 

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《 刻々と朝日が昇っていく様子は感動的である。雲の上に太陽が出てくると光の反射のすごいこと。カメラで覗くと一層よく分かる。初日の出を迎えたらみんな満足して家路についたようだ。》

 

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《   浜松市西区神ケ谷町にある菩提寺・洞雲寺とお墓に詣でて亡き両親等に新年のあいさつをした。洞雲寺山門の掲示には1月の言葉「生かさるるいのち尊し初日の出」とある。昔から「身体髪膚これは父母に受く」ということばがある。人の身体はすべて父母から恵まれたものであるから、傷つけないように するのが孝行の始めであるという意味であるが、80年たっても幸いにして元気でいられる。両親からいただいた命を大切にしたいと思った。》