昭和の航空自衛隊の思い出(218) 航空総隊司令部における修羅場

1.総隊司令官への月例報告

❶ 各部代表幕僚の報告戦技の修羅場

   航空総隊司令部勤務間において最も緊張した場面は、毎月一回月初め行われた定例の司令官への報告等であった。通常のモ-ニングレポ-トや日常的な報告・決裁とはまったくちがう雰囲気であったように覚えている。

 航空総隊司令部の班長以上が一堂に会し、各部門の専門幕僚が司令官に対して状況報告を行うものであった。防音装置が施された部屋で、関係者全員が着席し、報告者は一列に並び報告準備完了。そこへ定時に司令官が入場・着席するやライトが薄暗くなり直ちに報告等が始まる。途中の出入りは一切できなかった。

 毎回報告は10~15名で一人当たり1~3分以内に、報告事項をトラペン等を使って短時間に、簡潔明瞭に報告することが求められた。「あ~・う~・エ-」の類はもとより一語一句吟味した用語を使い、説明態度・発声・声量・強弱、アイコンタクト、トラペン・指図捧の使い方などを含めて、いかに短時間に的確な報告をするか各部を代表する幕僚の競い合いであり、まさに各部幕僚の報告戦技・技量を争う戦場であった。

 事前の準備として、どの部でも班長、部長に対しで司令官報告と同じようにリハ-サルを実施し、所要の指導を経て報告に臨んでいたようだ。司令官以下主要幕僚の集合した場所で的確な報告等をしたかどうかは一瞬にして誰の目にも明白であり、幕僚の資質・能力が試され評価される場でもあった。 

 

 航空総隊司令官をうなずかせる報告

 航空総隊司令官に対する月例の諸報告は、幕僚にとっては檜舞台であり、報告戦技の修羅場であった。私も毎月1回以上はこの場に臨んだので少なくとも24回以上は修羅場を踏んだことになる。まさに大相撲と同じてまったなし、一回勝負だ、わずか数分間であるが厳しい試練の場の連続であった。回を重ねるとその分度胸も座り自信もつき幕僚試練の成果は絶大であった。

 事前に報告内容の主点と骨格を決め、文書化して、説明項目及び構成など全力投球で作成にあたった。一語一句も無駄のないものとし、推敲に推敲を重ねて練り上げた。人事部門は主として総隊全部隊の服務状況を取り上げることが多かった。

 全般状況、特異事項、問題点と原因、今後の対策処置など毎月の状況に合わせて練り上げて誰にもわかる内容にした。

 航空総隊司令部勤務の2年間、竹田五郎司令官(航空幕僚長)、次いで山田良一司令官(航空幕僚長)に対して、報告担当者となったが、司令官がうなずいたり、直視して聞いておられるようであれば合格、顔を少しでも背けたり、もういいよとのしぐさが見られたら不合格であった。しっかりと司令官に正対して、はっきりとした口調で報告することが求められた。

 担当者は必死になって報告しているが、報告すべき司令官に正対せず、図表等に視線がとどまり、司令官は「もういいよ」と顔を背けているのが目に入らず報告を進める幕僚、周りの部長、班長から一刻も早く締めくくれとの「×の合図」を送っているに気づかずそのまま続ける幕僚もいた。

 こうした新米の幕僚は、終了してからそれぞれの部署で厳しい指導を受けているようであった。どの幕僚もこうした試練を重ねて成長していくものである。

 山田司令官は、報告に丁寧語の「ございます」と入れると「俺は天皇陛下ではない」という旨の指導をされたことがある。要は的確にして簡潔明瞭な報告を求められたものであり、自衛官らしく「あります」「です」などで締めくくることに着意した。

 両司令官とも、時折、さらに突っ込んだ想定外の質問をされて、的確な即答ができるかどうか試しておられた。報告はすべてに通じる道であり、一事が万事、幕僚を鍛える練成の場でもあった。

 ある月の報告の終わった後、部長会議から帰室した高浪人事部長から部長室に呼ばれた。何か問題でもあるかと部長室に入ると、「毎回の報告について、竹田司令官からお褒めの言葉をいただいた」と告げられたことがあった。

 このことがあってからさらに奮起して、的確な報告に努めるようになった。司令官の一語は一介の幕僚にとっては大きな励みになった。特に、あらゆる場面で報告・ブリ-フィングの機会が与えられ鍛えられた。そのためには担当業務について専門幕僚として日々研さんを重ねることが必要であった。

 こうした点から航空総隊司令部勤務は、あらゆる場面が厳しい修練の場となった。場を踏むにつれて、自信と意欲が増した勤務でもあった。 

 

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《 総隊人事班長講習 昭和54年3 月、総隊人事部長山田稔1佐を囲んで、直轄部隊人事班長、後列総隊司令部人事部幹部 》

 

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《 総隊人事部長講習 昭和54年4 月 総隊人事部長山田稔1佐を囲んで、各方面隊司令部及び南混団司令部人事部長、後列総隊司令部人事部の幹部》