昭和の航空自衛隊の思い出(216) 航空総隊司令部における人事幕僚勤務

 1.航空総隊司令部勤務間における反省と日記

 昭和43年12月人事幹部に転進して、中警団整備補給群、基地業務群の各群本部を出発点として、教導高射隊本部、西部航空方面隊司令部及び第6航空団司令部の人事部門を歩んで昭和52年8月航空総隊司令部勤務に至った。

 この間、人事幹部としては、幸いにして一歩づつ階段を登る如く各段階を経験する機会を与えられたので、各種の実務経験に裏打ちされ資質能力と自信をつけることができた。

 この間、担当業務の反省と向上のため日記的なものをつけるようになった。ポケットにしまえるような「自衛官手帳」よりÄ4タイプの日記帳や大判のノ-トを日常的に使用しメモるようになった。

 総隊司令部勤務からの記録は残っているが、それ以前のものは全部整理破棄してしまっている。このブログを書きながら手元にあったものは逐次整理をして全部焼却しすることにしている。

 読み返してみると当時どんな課題に取り組んでいたかを知ることができる。それぞれの時代を真剣に生きてきたのだと自己の歩みを再確認することができた。

 とりわけ、総隊司令部勤務から定年退官するまでは、年齢・階級・職務・経験等からして自衛官勤務と生活は主体的・主導的に思い切り活動する機会を与えられて最も脂の乗り切った時代ではなかったのではないかと思われる。

 作戦の最高司令部における勤務は、日々の幕僚活動の中に常に緊張感と高揚感があり、簡潔にして淡々とした所見を随所に付記するようになった。

 航空総隊司令部勤務においては、3等空佐・42歳であったが、昭和54年7月2等空佐へ昇任した。時に44歳であった。1月後には、浜松基地に所在する飛行教育集団司令部人事部人事班長を拝命することになった。 

 

2.航空総隊司令部在勤間における主要幹部

    メモによると、航空総隊司令部の主要幹部は、 昭和52年8月着任した当時、航空総隊司令官竹田五郎空将、幕僚長生田目修空将、監理部長森本俊雄1佐、人事部長高浪淳1佐、防衛部長山下博之1佐、装備部長松本明彦1佐、監察官権代良夫1佐、医務官金田良夫1佐であった。 

    監察官の権代良夫1佐は、指揮幕僚課程における課程主任補佐であり、見守っていただいた。

 昭和54年2月当時は、総隊司令官山田良一空将、幕僚長園部昌光空将、監理部長宮原兼寛1佐、人事部長山田稔1佐、防衛部長古賀昭典1佐、装備部長江口和昭1佐、監察官山田公平1佐、医務官金田良夫1佐であったと記録している。

  総隊司令部幕僚長園部昌光空将には、指揮幕僚課程の課程主任としてご指導をいただき、卒業後は第6航空団司令、更に幕僚長としてご指導を受けた。

3.人事部の編成と主要陣容

 人事部は、人事、訓練、厚生の各班からなっており、昭和52年8月着任した当時、人事部長高浪淳1佐、人事班長舟橋通郎2佐、職員班長富士高昭一事務官、訓練班長渡辺学2佐及び厚生班長山内健康2佐であった。54年2月人事部長の交代があり山田稔1佐が着任された。 

 

4.人事班における担当業務

 昭和52年8月人事部人事班に配置された。人事班長舟橋通郎2佐のもとに、計画担当となった。班長に次ぐ先任幹部であり、総括と班長補佐が重要な役目となった。

 人事班は、計画担当と人事担当の2係があり、計画担当は部内庶務、防衛・警備に関する人事計画、人事業務実施状況の分析検討改善、自衛官の服務・規律及び懲戒業務、有事の人事研究が主であった。一方、人事担当は、准尉以下の補任・昇給・記録等の人事業務、表彰、適性検査を担当した。

 西部航空方面隊司令部では、准曹士人事担当として直接人事にかかわる昇任・昇給業務を担当したが、ここでは、防衛・警備に関する人事計画、人事業務状況の分析検討改善、自衛官の服務・規律及び懲戒業務を担当し、担当幕僚として司令官、幕僚長へその都度報告を行い指導を受けた。

 人事幕僚勤務の特色としては、防衛・装備等他の部門の幕僚間の調整会議等は、多くの場合人事部代表として参画することとなったことであった。

 

3.終生私の誇りとする自慢できる同志・部下

 着任時、私を補佐してくれたメンバ-は、庶務係河野通1曹、計画係岡田正夫2曹、現況係内野敬道3曹及び服務係鈴木邦雄3曹の空曹陣であった。いずれも新進気鋭の優秀な空曹で優れた資質能力を有しており、それぞれが積極的に立派な補佐をしてくれた。

 とりわけ、航空総隊准曹士充員計画の作成にあたっては、計画係岡田正夫君の目標に対するち密な積算・正確な計数整理などは比類を見ないほどの抜群の力量で全幅の信頼をして膨大な計画を整斉と処理することができた。その後、全員が准尉等として部隊の骨幹を支える存在となった。終生私の誇りとする自慢できる同志・部下であった。

 また、女性の新任幹部として、梶田ミチ子3尉が私のもとに配置され、積極的に片腕となって活躍してくれた。私のきびしい課題や業務処理を見事にやり遂げて女性自衛官として頭角を現し、後年、女性幹部として初の航空における指揮幕僚課程に合格修学し、栄進して将官として退官した。これまた私の誇りでもあった。

 

4.准曹士人事担当

 着任当時、人事班における一方の人事担当は、小田俊彦1尉のもとに、総括係小俣博文准尉、補任係熊谷清司3曹、記録係内山将子1士が配置されていた。その後、人事担当は渡邊伊佐雄1尉が配置され交代した。お互いに協力し合って業務を処理し合った。

 

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《   離任の航空総隊司令部人事部長高浪淳1佐を囲んで、前列左から訓練班長渡辺学2佐、厚生班長山内健康2佐、人事部長高浪淳1佐、人事班長舟橋通郎2佐、職員班長富士高昭一事務官、後列は人事部員 》

 

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《 昭和53年春、転任する人事班鈴木邦雄3曹を囲んで、前列左から訓練班長渡辺学2佐・厚生班長山内健康2佐・鈴木邦雄3曹、濵田喜己3佐・岡田正夫2曹、後列左から佐原孝喜3曹・渡邊伊佐雄1尉・熊谷清司3曹・熊谷利久太事務官・内野敬道3曹。後年若手の人事空曹は昇進し部隊の人事部門の大黒柱となって活躍した。》