昭和の航空自衛隊の思い出(212) 何にも連絡がなければ安心せよ

 1.連絡がないうちは安心せよ      

    今も昔も、どの職業であっても仕事の内容によってはさまざざまな行動規範や制約などがあるものだ。特に国防の任に就く自衛隊自衛官には任務遂行上の厳しい行動規範や制約があるのは当然であろう。

 家庭を持ってから妻に言ってきたことは、「自衛隊勤務において連絡がないことは無事なこと」「自衛隊の仕事は任務上連絡ができないときやしないことがある。自分の身に何かあれば必ず部隊から連絡がある。何の連絡もない時は仕事を一生懸命やっていると思って心配するな、安心してくれ」と繰り返しいってきた。

 今の時代のように 、軽易に携帯電話やメ-ルができる時代ではなかった。私的なことでの連絡手段がなかったといえる。訓練演習、研修、出張等のほか事故の緊急対処など様々であり、「〇〇で帰りが遅くなる」「今晩は泊まり込みだ」といったたぐいのことは一切連絡しないことで貫き通した。司令部勤務においては通常の勤務の場合もいろいろな状況から帰宅が不定で遅くなることが多かった。

 したがって、夫婦の約束事として、ある時刻になっても帰宅しない時には家族は定刻に食事を済ませることにしていた。

 自衛隊官舎は任務への即応対処という意義を有していることから、こちらが連絡しな

いでいても、うまくできているもので、全く情報が途絶えるわけではなかった。主人は元気でやっているという類いの情報はどこからともなく動静が伝えられており安心感を持ったようである。

 

*今はよい時代だ。お互いの通信ができる。海外で厳しい任務を遂行している部隊・隊員に対して家族との通信連絡などの配慮がなされ後顧の憂いなく勤務できる体制が築かれるようになった。

 

2.自衛隊官舎の持つ側面の意義

 今どきは、「宿舎」というのが正しいが、昭和を語るには普段使っていた使い慣れた「官舎」の方が安定感と親しみがある。

 自衛隊の近傍に官舎が設けられ、自衛官が官舎に入居する理由は、自衛隊の任務からくる即応・緊急対処ということに尽きるが、任務遂行の基盤となる運命共同体としての連帯感、信頼感、帰属感、安心感などを作り上げる側面を有していたように感じている。官舎区域は、家族にとっては一つの職域の社会であり、相互に助け合う地域社会を形成していた。

 妻にとって結婚した当初は、自衛官の妻として、夫の任務・職務の特殊性を十分に理解しているといってもとまどうことが多かったであろう。夫の基地を異にする転勤は、家族が一緒に住む限り妻にとっても転地であった。

 当時、妻は転勤・官舎入退去を繰り返し、歳を重ねていくといろいろな経験と年期が入って、妻なりの官舎生活についての考え方や信念みたいなものが出来上がってきたように感じている。

 この点では、官舎に入居できたことは良い面が多かったようだ。同じ官舎の中でも部隊、勤務部署、職種、職務が全く違った職務であることが多かったが、夫の自衛隊自衛官の使命は同じであり、自衛隊官舎という一つの運命共同体で生活することによって学んだり啓発されて、自衛官の妻としての心構えが自然に培われてきたように思われる。

 私の家庭の場合、妻は自衛隊のことを全く知らなかったが、先輩・年長の皆さんの生活ぶりを学び、自然にどうあるべきかを体得していったように覚えている。

 

 2014-07-21 昭和の航空自衛隊の思い出(5) 「  自衛隊官舎の存在意義」で官舎について述べた。

 

3.人事に関するうわさへの対応

 どの社会でも人事に関することは、人の関心事であり噂の対象になるものだ。

 人事幹部に転進して心したことは、異動・昇任等の人事に関しては、当たり前のことながら家庭内では一切触れないことに徹した。従って、周りは知っていても一番知らないのはうちのおかみさんだけということもあった。

 人事関係者の家族としてはこれでちょうど良かったりではないかと思う。なまじっかな知らないでよいことを知ったりするとよいことはない。一切承知しない状況におくことこそ妻に対する配慮であると考えてきた。人事発令となり公にされたことことについては、妻も知っておいた方がよいと思われることは話すことにしていた。

 こうしたことは、人事担当者として職務上のことに関する守秘義務は当然のことである。発令前の人事事項等については、厳正に臨み、うわさがあっても一切肯定も否定もしないことを堅持した。

 

4.妻に上司・同僚・同期・部下の名前を覚えてもらった

 人事に関することは一切話さず固く口を閉ざしたが、逆にその分、上司・同僚・同期・部下の名前は日常生活でしばしば口に出して話をすることにしていた。何回も口にしていると会ったことはなくても名前をしっかりと覚えてもらえるものである。

 自衛隊勤務は、命令と服従といった面だけ見ると情のない固い集団のように見えるが実はそうではない。平時の勤務において、相互の絆、信頼と心服が生まれて任務遂行の基盤が確立されていくものである。いつ何時上下に関わらずお世話になったりするものであるからだ。

 妻にもその一端を理解してもらいたかったからである。名前を覚えれば親しみが湧くものである。退官後何十年を経てもその当時の上司・同僚・同期・部下の名前が出れば、妻もその関わり合いが思い出されるほどである。