昭和の航空自衛隊の思い出(201) 自衛隊官舎と地域交流

 自衛隊官舎と地域交流については、2014-07-24  昭和の航空自衛隊の思い出(8)  「官舎と地域との交流」でかなり触れた。

1.野立町官舎と町内会(自治会)活動 

 平成50年8月小松基地の第6航空団への勤務に伴って、小松市野立町の野立官舎に入居した。町内会(自治会)長は基地業務群司令能登久弘1佐であり、どうした経緯か忘れたが、団司令部人事班長(3佐)の私が副会長になった。町内会( 自治会)活動の内容は、どこの市町村で行なっているのと同じようなものであった。町内会( 自治会)員の世帯が自衛隊の官舎居住者であるということの違いだけであった。

 町内会( 自治会)長の指揮下で実務は副会長のもとで各担当が采配を振るって運営していたように記憶している。その後、春日基地春日市原町官舎の自治会長をし、千葉の市川市二俣官舎では自治会の環境部長をした。定年退官後は永住地と定めた現住地で地域の自治会役員・部長、副会長、自治会長を経験して見て、自衛隊官舎における自治会運営は非常にやり易かったの一語に尽きる。

 単一の自衛隊官舎地区の居住世帯であることから自衛隊式に集合は定時定点であり、意思決定は迅速で、自治会活動は、当然のことながら体力気力・組織力・動員力・行動力・実行力に優れていたのでそれほど苦労したという記憶はない。 

 降雪期は官舎内の除雪は出勤前は隊員が担当し、隊員が帰宅するまでは留守を守る家族が共同で除雪するなど統制のとれた円滑な運営がなされた。浜松育ちで雪かきなどしたことのなかった家内も一冬越すと除雪作業のベテランとなったものである。 

 

2.自衛隊官舎自治会の新たなる発展

  小松基地勤務における野立町官舎は、5階建官舎で2棟で100戸ほどであったように記憶している。着任して間もなく、降ってわいたような町内会( 自治会)副会長の役柄は、地域における町内会( 自治会)活動に開眼する転機となった。自衛隊の仕事一本槍から、地域社会に目を向ける機会を与えてくれたからである。

 能登久弘町内会( 自治会)長の補佐役とはいえ、隣接町内会( 自治会)との連絡調整役は全部副会長が担当した。同じやるなら従前のしきたりや従来の官舎地区内だけの自治会活動から一歩踏み出して、新しい形の自治会活動を少しでも発展させたいという考え方に基づき行動した。

    会長の代理で串町の八幡神社例祭に列席したり、隣接町内会(自治会)との連携や連絡調整等をやっているうち他の町内会長等と固い信頼関係を築くことになった。地元の子供たちと同じように、官舎地区の子どもたちにお祭りを楽しんだり屋台引き回しを体験させたいと思い、官舎地区まで回ってもらったりした。こうしたことは初めてのことであったがお互いの信頼関係で円滑に行うことができた。

 この根底には、小松市民社会における自衛隊官舎地区住民と周辺の地元住民との相互信頼を強固なものにしたいという思いがあった。このようなことから野立町町内会と隣接の町内会とは一層良好な関係を築くこととなり、基地の安定した運営にも寄与したものと思われる。

 

3.町内会(自治会)活動と十年会への参加が与えた影響

    小松基地勤務から始まる自衛隊官舎地区 における数々の町内会( 自治会)活動への参加が、自衛隊退官後の生き方に大きな影響を及ぼした。

    加えて、次回で述べる小松市における隣町の指導者で構成する「十年会」への参加は、衝撃的なほど強い感動を覚えたものである。

 .特に、当時、あまり話題にならなかった「自分たちの住む町は将来どうあるべきか」と今でいう先進的な「まちづくり」に目を向けていた点が、ものすごく大きな感動を与えたものだった。

 小松基地での副会長、その後の春日基地での町内会( 自治会)長等の経験は、自衛隊以外のことに疎かった私に地域の町内会( 自治会)の役割、活動について関心を持たせ「自治会のあるべき姿」と「自治会長はどうあるべきか」「自治会は何をなすべきか」といったことについて考える動機付けとなった。

 自衛隊在任間はひたすら職務に専念し、定年退官後機会があれば、この時の思いを自分の住む町で取り組むことができたらとその後の官舎生活の転勤中にもひそかに胸に暖めることにした。

 こうした点からも自衛隊における転勤、官舎生活は、私に良い刺激と研さん、さらには新鮮で幅広い経験を積ませてくれた。

  退官後いつの日か自分が永住の地で機会があれば、その夢を実現したいと考えたことができる機会がやってきた。第2の人生も一段落してから、地域の自治会長に就き、浜松市西区神原町誕生50周年を契機に「神原町まちづくり構想」と取り組むきっかけとなったのである。

 この提唱は、今まで慣例と毎年同じことの繰り返しであった自治会活動に大きな衝撃と刺激を与えた。町民の一割の方に「まちづくり委員会」の委員になってもらい、皆の知恵と協力で「まちづくり構想」を作り上げ実行することとなった。

 その活動経過は、2014-01-04自治会活動(1)~2014-01-29自治会活動(12)で「まちづくり構想」について取り上げたことがある。

   自治会活動から発展して 、「花と緑のまちづくり」に発展し、今日に至るもささやかな活動を続けているのも、元をただせば、現役時代の小松基地勤務における野立町官舎町内会( 自治会)副会長の活動経験と当時革新的ともいえる隣町の十年会への参加から始まったものだった。