昭和50年8月から52年8月まで2年間小松基地に勤務した。結婚してからは、いずれの任地であっても出来る限り家族そろって周辺の各所を見て回ることにしていた。住めば都であり、周辺の状況が分かるにつれて機会を見つけては、小松市を中心に周辺を訪れた。その中でも能登半島を民宿を利用して車で家族小旅行をしたことは鮮明に覚えている。
特に、輪島市は石川県北部に位置し、能登半島北部の奥能登の中核 となる町で、輪島塗、朝市、御陣乗太鼓、千枚田などは全国的に有名であり、これらの見学は強く印象に残った。昭和50年始めの輪島は素朴な町並みであった。泊った民宿の料理もおいしく、教えてもらった情報で夜町角で演じる勇壮な御陣乗太鼓を見学したり、早朝から朝市に出かけるとおばさんたちが店を開きにぎやかであった。
そのほか周辺の名高い名所旧跡を訪れた。とりわけ、金沢の兼六公園はしばしば訪れて四季の移り変わりを楽しんだ。冬の風物詩「雪吊り」は未だその様子が目に浮かぶ。
また、冬期の土曜日の午後は30分ほどで行ける大倉岳高原スキー場が小松市尾小屋町にあり、家族全員が車で出かけてスキ―を楽しんだ。
こうしたことから思い出がいっぱいあり、出来ればゆっくりと夫婦で北陸の地を旅行し、往時と今を比較してみたいと思うことがある。
《 40年前のパンフレットがアルバムにはさんであった。》
輪島市環境協会のホ-ムぺ-ジから(出典)
輪島の朝市
《 昭和50年初めの頃の大倉岳高原スキー場 と比べるとかなり整備されたように見受ける。初心者に優しいスキ-場 であったことが印象に残っている。雪国に来たからにはスキーに親しむようにしたいと子供を連れていった。小学生の次男がスキーを滑れるようになり一緒に滑走した。》