昭和の航空自衛隊の思い出(199) 服務指導研究会の主宰

   昭和50年8月第6航空団に勤務して、司令部人事幕僚として特に力を入れて実施しことは、「服務指導研究会」を設けて、各隊の小隊長・隊付クラスを対象に服務指導に関するケ-ススタディを行ったことである。自衛官の服務は、有事において与えられた任務に立ち向かい、いかに意欲に燃えて積極的に職務を遂行するかにある。物事には両面あるから積極的な向上策と服務事故の防止策など多様であった。

 あらかじめ事例研究のテ-マを付与して、個人ごとに自分の小隊等における問題点及び対策処置案をまとめておき、共通性のある内容、特異・特色のある内容などを取り上げて発表し、焦点を絞って全員で研究討議を行わせた。

    小隊長等、隊員との接点に立つ初級幹部として、真に自分なりの自衛官の服務に対する所信を持ち自信を持って隊員指導に向き合うことを狙いとしたものであった。

 テ-マは、:現実に小隊等で発生ないしは生起するであろうと思われ事例を取り上げた。研究討議の成果は自分の小隊等で明日からでも応用できるものにした。

 人事幹部及び幕僚として、空曹時代から営内・青年隊員の諸問題や隊員の服務指導に取り組んできたこともあり、この面ではかなりの手ごたえを感じた。通常勤務においては、午後はどこかの小隊ショップに出かけて現場の状況を確認したり、意見を聞いたり相談に応じたりしていた。

 私の第6航空団勤務は、一般的な人事業務は淡々とこなし、「隊員の服務」と「指導のあり方、指導要領」の取り組みに力を入れて多くの時間を割いたことが今も強く記憶に残っている。これは上司の理解と周りの理解協力があってできたことであった。

    その根底にあったのは、操学1期・内務班長・部内幹候・指揮幕僚課程修了が大きな馬力になったように思っている。とりわけ部内幹候出身でCSに挑戦し学び卒業したことが周囲の「信頼」を呼ぶという威力を発揮したことは間違いなかった。

 一介の人事幕僚、3佐の班長ごときが、着任早々から団司令を補佐する服務担当の専門幕僚として「服務指導研究会」を立ち上げることに承認をいただいたことは、やらせてみよういう計らいであったと思われる。大胆な策案を思い切りやらせてもらえる土壌と雰囲気があった。CSも平凡な学生であったわりには、園部団司令がCS課程主任、酒井副司令が操学1期の区隊長、兵頭人事部長がCS先輩といろいろな面で恵まれた状況にあったといえる。内容については省略する。

 小松基地勤務は、階級は3等空佐、年齢は40歳、自衛隊歴20年となっており、私の自衛官生活の大きな転機、タ-ニングポイントとなった。30歳代までは教え育ててもらいながら教え育てる両面の立場から、40歳になってからは主体的に教え導く立場になった時期であったからである。従って、積極的・精力的に幕僚活動を行なう一方、官舎地区の自治会副会長として対外活動に参加するようになった。

 こうしたことから小松基地在勤間、公私にわたり緊張感の中にも、余裕をもってのびのびと自信に満ちた生活を送った。幸いにして大きな服務事故もなく、第303飛行隊(F-4EJ)新編など順調に進んだ。

 初級幹部時代に、要撃管制官として24時間の厳しい航空警戒管制任務に就いた経験がもとになって、諸事万端にわたって有事を基本とした物の見方、考え方に徹して過ごした。

 

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《 小松基地幹部会・片山津温泉、中央左から3人目が団司令園部昌光将補(陸士57期)、次いで副司令酒井眞1佐(海兵)、筆者が前列左端にいるところを見ると、昭和50年8月小松基地勤務となり、幹部会の新入会員4名が並べさせられたように記憶している。ここでは朱塗りの大杯に骨酒が用意されており、回し飲みをしたことを覚えている。骨酒は焼き魚で肉をとったあとの骨や鰭などをふたたび火にかけてあぶり、少し焦がしてコップなどに入れ、熱燗の酒をこれにそそぐことで日本酒に独特の香味を付けて味わうことができるものである。こがした骨と日本酒の味は独特で強烈な印象が残った。郷に入れば郷に従えと、その土地の酒の良さは、九州勤務の焼酎との付き合いから転じて、小松在勤間、イワナの骨酒など北陸の酒の飲み方で美酒を味わった。 》

 

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《 小松市内で行われた 「市民と航空隊員との美術展」の開会式に参加した。左から団司令園部昌光将補、4人目が筆者  》