浜ちゃん日記  パソコンと記録写真の整理に寄せて

 先般ある新聞の投書で高齢者の仲間入りしたので、過去の写真のすべてをパソコン入力したという記事を読んで大したものだと思った。何カ月もかけてコツコツと処理をしたであろうと推察した。

 私には何十冊もの写真帳をパソコンに入力整理する気力はない。むしろあるがままにしていずれはこの世から消えていくものと思っている。自分の周りにあるいろいろなものを整理しているが遅々として進まないでいるからだ。

 思い出すのは、晩年の両親のことである。高齢で病床に伏した父より少し前に母はポックリと亡くなったが、母がなくなった時、父が書き残したものは一切きれいさっぱり焼却してしまっていたのには驚いた。実家に帰った折ゆっくり父の遺品を探して持ち帰ろうと思っていってみたら全くなくなっていた。

 父は温厚で人望があり、若くして養蚕組合長となり、村会議員に選ばれ、教育委員、副議長となり農業の傍ら地域の公的な役職を歴任し、老後は老人会の副会長もした。几帳面で毎日のことを一冊に綴じた半紙に墨字でスラスラと認めていた達筆家であった。

 子供の頃からそばで見てきたのと、何十冊もあるのを知っていたからぜひ一部でも保存継承しておきたいと思ったが後の祭りであった。明治生まれの母には母なりの考えがあったであろう。昔からの風習であったであろうか。立つ鳥は跡を濁さずとの考えだであったであろうか。一切痕跡を残さない徹底したものはどこから来たのであろうか。

 花の会の代表をして、間もなく10年になろうとしている。出来るだけ早い時期に次にバトンタッチしたいと、書類類の整理は完了した。

 一番厄介なのは、毎日花畑の状況をデシカメで数十枚は撮ってきた。大量の記録ネガの整理である。営々として皆で築いた活動の記録をどのように保存し伝えようかと思っているからだ。個人の記録ではなく小さくとも集団の活動記録であることからしっかりとその役割は果たしておきたいと思っている。出来れば、「花と緑のまちづくり活動の歩み」のような記録集を編纂したいと思っている。そうすれば大量の記録ネガを破棄処理できるであろう。

 公的なものは除いて、私的なものについては、母親がやったように、一切の痕跡を残さないやり方もある。さりとてそのように割り切れない自分がある。急ぐことはないゆっくり考えながら処理していこうと思っている。