昭和の航空自衛隊の思い出(196)  自主積極性を重視した青年隊員に関する試行

1.営内環境の把握と定時一巡

     人事班長の仕事に服務担当があった。小松基地に2年間勤務して、着任から離任まで必ず行ったことは、朝出勤したら営内隊員が居住している内務班を一巡してくることにした。

 そのきっかけは、2尉・1尉時代に中部航空警戒管制団の第一線部隊で、服務担当幹部となり、営内の諸問題の解決に奔走した時、毎日内務班を訪れて班長や班員の話を聞き状況を確認して問題点の背景・原因などを探求し対処策を立案して改善や解決に導いたことから始まった。

 自分の若いころの営内生活、内務班長の経験などから、毎日同じ時間に同じところの状況を観察していると、服務上の各種の兆候・変化などが分かると確信するようになったことであった。

 人間に体調の変化がある如く、内務班も部隊も同じである。大きな全体の流れ、雰囲気、諸事象などから内務班や部隊の状況を感知しうるものがあった。

 方面隊司令部のような勤務を除いて、司令部といっても直接毎日現場を訪れることができたので、小松基地在勤間は実行した。

 あらさがしに行くとか、些細なことを指摘するとかといったケチな考えではなく、着眼点をもって観察することによって、内務班全体の状況、隊員の状況、部隊の状況を知ることができたからであった。

 自衛官の服務は、法令や上官の命令を超越して、その真髄は、各隊員が自己の任務を自覚し自主積極的に職務に励むことであろう。隊員個人はもとより部隊の服務規律の根源はここにある。

 部隊活動においては、服務事故や航空事故が発生するに至るまでには何らかの兆候、気づかなかった事象があったであろう。それを見つけることは難しい。難しいが各所を訪れることによって五感をもって大きな流れを感じとることはできると思った。

 

2.内務班の自主運営 

 現在の営内居住区の編成及び運営については承知していないが、戦後よく映画化されたいじめと暗い印象を極端に表現した旧軍の内務班のような、内務班は私の知る限り航空自衛隊には存在していなかった。

 したがって、内務班という言葉自体にも抵抗感もなかった。昭和の30年代前半、私もその一員として営内生活をした。当時の状況は基地内で生活する優秀な空曹・空士をどのように伸展させていくかに力点が置かれていた。優秀な資質能力に優れた青年隊員を更に発展させる指導方法は何かを模索している時代であったように憶えている。

 幹部自衛官に任官後は、部隊の服務担当幹部としては、終始一貫して、内務班の自主積極的な運営を基本として指導してきた。各隊の担当の初級幹部、准尉及び空曹に対して上からの目線の管理ではなく、兄貴分として、必要な時に適切な助言をするやり方を薦めたものであった。

 また、その中核となる内務班長に対しては、班長の役割を明確にし、精勤章の授与などの選考に意見具申できるよう指揮官を補佐し、内務班運営等も改善を図った。

 

3.内務班長が中心となった基地納涼祭

 基地納涼祭といえば、どちらかというと基地運営上の対外活動を重視したものが主流であった。今日もその点では大きな変化はないであろう。 

 納涼祭当日、内務班を廻ってみると多くの隊員が盆踊の太鼓と踊りを聞きながらベットに横たわっている様子をみて、服務担当としてどのように対応したらよいか考えた。

 毎日の勤務において意欲的な優秀な空曹空士をどのように盆踊りの輪の中に入れて、青春時代の大きな体験と喜びを味合わせる方策はないかとの視点で内務班長等の意見を取り入れた結果、内務班長及び班員が全員参加する基地納涼祭を企画することになった。

 その内容は、対外的な事項を除き、司会・企画・準備・運営等の全部を内務班長にまかせてもらうよう基地司令に進言し実行することができた。当然管理部門の担当幹部がモニタ-をして助言する方策を取り入れた。

 基地司令には英断を持って承認していただき、従前と変わりない基地納涼祭となった。営内隊員は全員参加、盆踊の輪に加わりもりあがった。失敗は許されず対外的なこともあるので要所要所にしかるべき担当幹部を配置して運営した。

 私にとっても、長い自衛官生活の中で初めてのことであった。部隊の櫓の組み立て、放送装置の構築等すべて、管轄の各隊の空曹空士隊員等が行っている。当日の運営の花に内務班長が中心となったことは画期的なことであった。無事に行事を終えた時には涙が出る思いであった。自衛隊の若い集団・階層が見事に期待通り高い資質能力を発揮することができたからであった。

 

4.内務班中心の基地納涼祭のもたらしたもの

 その後、各基地の納涼祭に接して、よくもあの時園部基地司令が承認されたものだと回顧することがある。兵頭人事部長はじめ各部長、関係幹部の理解と協力なくしてできなかったであろう。何よりも兵頭部長と息を合わせて取り組んだ結果であった。部長の強力なバックアップの賜物であった。

 私にとっては、今後の航空自衛隊において、「准尉・空曹及び空士をどのように活躍の場をあたえるか」という大きなテ-マの一環として取り組んだ結果であり、その成果が人事幕僚として、その後の「准尉・空曹及び空士の諸問題」の取り組みにあたって自信を与えてくれた。 

 基地納涼祭に関しては、基地のおかれている地域特性によっては、第1日を隊員及び家族中心、第2日を対外活動を中心とた基地納涼祭としているところがある。今日のように基地の対外行事として納涼祭を運営する場合、慎重な運営が求められるであろう。

 いつの時代も、自衛隊の准尉・曹・士は優秀であり、部隊の任務遂行の基盤をなす集団である。