昭和の航空自衛隊の思い出(192) 戦闘航空団で取り組みたいと思ったこと

 昭和50年8月、西部航空方面隊司令部から第6航空団勤務となった。初めての戦闘航空団勤務であったこと、航空警戒管制団と異なって同一基地内に全部隊が所在したこと、司令部勤務といっても方面隊司令部と違って直接部隊の状況を現認することができることから、次の目標を胸に秘めて腹案をもって着任した。

❶ 隊員の服務指導体制と指導のあり方

 航空警戒管制団における整備補給群及び基地業務群、長官直轄部隊であった教導高射隊で、服務指導面について策案を研究して試行してきた成果を、戦闘航空団で実行し更に充実させてみたいとの構想をもっていた。

航空警戒管制団では先任空曹の活用について重点を置いてきたので、今回は、小隊長クラス(3尉・2尉)の服務指導能力の向上策の推進に重点をおいてみたいと考えた。このため服務指導研究会の設置と幹部学校の発行する「朋友」誌上の服務課題研究への積極的参加を頭に描いていた。

❷ 自主積極的な営内居住生活の充実

 航空警戒管制団等において、策案を現場でかなり試行してきた結果を踏まえて、上からの指導型ではなく、青年隊員の持つ特性を十二分に活かすように自主積極性を重視した内務班の運営要領の推進に重点をおいてみたいと考えた。

 若手空曹の実力を試す試金石として、出来れば基地盆踊り大会の運営を所定の幹部の指導のもとに内務班長及び班員が中心となって取り仕切る形のものを実現できたらと思っていた。

❸ 人事幕僚の現場進出のあり方

 航空方面隊司令部勤務であると、隷下部隊を訪問するにはあらかじめ連絡をして幕僚訪問することになることになるが、航空団においては、基地内に散在する部隊を軽易に訪問することができる。

 恒常の業務・会議などのほかは、出来る限り時間を作って現場進出することにしたい。隊長・小隊長と会って話をしたり、小隊等における隊員の職務内容・勤務状況などを直接見ることに努めたい。報告書類、デ-タだけで判断しないで自分の目でしっかりと確認し、意見を聞くことに徹したいと考えた。

 人事幕僚として、以上の三点について、着任後しばらく部隊の状況を確認してから、内容に応じて、人事部長、副司令、団司令の同意を得て何らかの形で進めることにした。

 初の小松基地における勤務であったが、わが胸には「戦闘航空団で取り組みたい」と思うことを胸に秘めて赴任したせいか、心は晴れやかであったことを憶えている。

 

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《 小松基地在勤間 の第6航空団副司令は、酒井眞1佐(海兵75期)であった。

副司令には、昭和30年6月第1期操縦学生基本課程において、隣の第2区隊長(2尉)

として訓育指導を受けた。不思議なご縁で再び20年後にご指導を受けることになった。》