昭和の航空自衛隊の思い出(191) 小松基地における第6航空団司令部勤務

1. 本格的に教えかつ育てる活動を始めた 

    昭和50年7月小松基地に所在する第6航空団勤務を命ぜられ、司令部人事部人事班長に指定された。時に3等空佐・40歳であった。私の35年余の自衛官生活を回顧した時、20年間は自衛隊で育ててもらった期間であったといえる。その最後が西部航空方面隊司令部における2年間の勤務であった。指揮幕僚課程を修了し、人事幕僚として作戦司令部で勤務したことにより最後の総仕上げを行ったといっても過言ではなった。

 従って、小松基地への赴任は、幹部自衛官として、任官以来14年間各種の厳しい勤務、教育訓練等を通じて培った確固たる信念と経験に裏打ちされた識見技能を積む機会を与えられたので、自信を持って着任した。配置も自分の能力を思う存分に発揮して職務遂行ができる職務で申し分なかった。不遜な言い方ではあるが、どちらからというと、育てられつつ教えていく立場から完全に「教えかつ育てる立場」、「主導的に職務を遂行する立場」に転換したといえる。 

 今まで培った実力・経験を発揮して、主体的に司令活動に参加し、人事班長として自衛官及び事務官等に関する人事業務を所掌する主務担当幕僚の職責を果たすことになった時期であった。

 

2.小松基地の概要

    昭和50年8月から52年8月の2年間、小松基地に勤務した。小松基地は初めての勤務であったが、公私にわたり非常に印象に残る勤務地であった。

 在勤間、第6航空団司令兼ねて小松基地司令の園部昌光将補(陸士57期)に大部分、次いで川澄貞吉将補(陸士58期)に約5月お仕えした。園部将補には、指揮幕僚課程において課程主任として薫陶を受けたので不思議なご縁であった。

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当時の小松基地所在部隊は、次のとおりであった。

 

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在勤間の主要な動きは、昭和51年10月の第303飛行隊の新編(F-4EJ)であった。

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小松基地の変遷を知るため「航空自衛隊小松基地ホ-ムぺ-ジ」で確認することにした。  

基地紹介  小松基地ホ-ムぺ-ジ出典

 小松基地は昭和36年に開設された日本海側唯一の戦闘機部隊が所在する基地であり、我が国の空の守りを固めるため、日夜訓練に励んでいます。
 当基地と日本海を隔てた諸外国との位置は近く、航空機で約1時間の距離にあります。この状況からも当基地の果たす役割の大きさがご理解頂けると思います。
 当基地は対領空侵犯措置の任務を与えられ、主に日本海正面における国籍不明機の警戒にあたっています。
基地面積  約392万㎡(東京ドーム約83個分)
飛行場総面積  約442万㎡(国土交通省管轄区域を含む)
滑走路  長さ 2,700m   幅 45m
所属飛行機  F-15J/DJ(戦闘機) T-4(中等練習機) U-125A(救難捜索機) UH-60J(救難ヘリコプター)

 

歴史

  • 昭和19年 8月旧海軍舞鶴鎮守府飛行場建設
  • 昭和20年11月米軍接収(補助レーダー基地)
  • 昭和33年 2月米軍接収解除
  • 昭和36年 2月小松基地開設
  • 昭和36年 3月小松救難分遣隊編成
  • 昭和36年 7月第6航空団編成完結 ※第4飛行隊(千歳)、第8飛行隊(松島)から移駐配備(F-86F)
  • 昭和39年 9月F-104J戦闘機導入のため、滑走路を2,700mへ
  • 昭和39年11月第8飛行隊、岩国基地へ移駐
  • 昭和40年 3月第205飛行隊新編(F-104J)
  • 昭和50年 6月第4飛行隊解散
  • 昭和51年10月第303飛行隊新編(F-4EJ)
  • 昭和56年 6月第306飛行隊新編(F-4EJ) ※第205飛行隊解散
  • 昭和62年12月第303飛行隊改編(F-15J)
  • 平成 9年 3月第306飛行隊改編(F-15J)
  • 平成16年 3月第6基地防空隊新編
  • 平成16年 4月新管制塔運用開始
  • 平成18年12月滑走路かさ上げ工事完了
  • 平成20年 3月第9移動警戒隊、第2移動警戒隊(入間)に整理統合