昭和の航空自衛隊の思い出(190) 自衛官人生における出会いと年賀状

1.  年賀状に託する感謝の一念

 毎年10月になると、年賀状のことを考えるときがやってくる。年賀はがきの注文があるからだ。退官して何十年もたつと特別なことがない限り、遠くに住んでいる知友とも年初の年賀の交換ぐらいになってくる。それはやむを得ないことだ。

 齢80年の人生を振り返るとき、人生は人との出会いの連続であり、これからもその連続であろうと思う。多くのよき出合いが持てたことに感謝している。わが人生を終えるまでそうありたいと願っている。その直接的な感謝の気持ちを年賀状に託している。

 したがって、私にとって、年賀状は今までお世話になった方への感謝の気持ちを最後の最後まで伝えたい一念に他ならない。歳をとった、昔のことになった、疎遠になったなどは全く関係ない。しかし、先方から今後、年賀は遠慮したいと意思を示された方には差し上げないことにしている。

 

2.自衛官人生の様々な出会いと経験

 自衛官人生は、多数の様々な人との出会いであった。各種の部隊勤務を重ねるごとに、司令部勤務であろうが第一線の部隊であろうが、時と所が変われは上官になったり、同僚になったり、部下になったりする。また、大人数の部署、こじんまりとした職場など部隊の任務特性、機能及び規模によっても異なった。

 昭和30年1月の陸上自衛隊、同年6月航空自衛隊自衛隊入隊以来、35年余の勤務を終えて退官するまで、多くの出合いを持つことができたことに感謝している。

 

3.西部航空方面隊司令部での出合いと経験

 昭和48年7月から2か年の西部航空方面隊司令部勤務も、人事幕僚として多くの出会いを与えていただいた。航空方面隊司令部ほどの作戦司令部になると、部長は1佐、班長2佐、班員は3佐~1尉が主力となる。しっかりとした幕僚組織が組み立てられており、当然、担当職務に精通し、かつ部隊経験も豊富なものが多かった。

 航空方面隊司令部に勤務する准尉・空曹は部隊から選抜されたものが配置されており、資質能力は抜群であった。司令部機構は組織自体の特性から階級、職務、上下を問わず、責任の重い職務そのものが自ずと勤務者全員を厳しく鍛えてくれた。そこには隷下部隊が存在したからである。 

 航空方面隊司令部の勤務においては、感謝しきれないほどの出会いと経験をさせてもらった。充実した勤務を終えて次の任地に向かうことになった。

 

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《 昭和48年暮ごろの写真と思われる。西空司令部人事部の部長轟哲夫1佐の送別会、人事班長船橋通郎2佐、職員人事班長佐々木義民事務官、訓練班長佐藤計俊2佐、厚生班長佐藤達雄2佐のほか人事班の宮崎弘3佐、梶原末一1尉、岡本英気准尉、,永友忠光准尉、本城武治1曹、井上功一2曹、小嶋将人2曹、古賀元治3曹、吉田儔史3曹、柳田秀文士長などお世話になった。厚生班に音楽隊が属していた頃で、進藤隊長ほか多くの音楽隊員の顔が見られる。 》

 

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《  轟哲夫部長を囲んで人事班長船橋通郎2佐、厚生班長佐藤達雄2佐、訓練班長佐藤計俊2佐の顔が見られる。 》

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《 前列左右私と小嶋将人2曹、本城武治1曹など 》