昭和の航空自衛隊の思い出(181)  人事幕僚と准尉・空曹及び空士の昇任管理

1.  人事幕僚としての己の使命と策案

 ❶ 准曹士に関わる課題と使命感

    昭和48年7月航空自衛隊幹部学校における指揮幕僚課程を卒業し、准尉及び空曹の任免権を有する西部航空方面隊司令官(空将)のもとで人事幕僚の一人となり、人事部人事班で准尉、空曹及び空士の人事業務を2か年間担当した。

   私自身が第1期操縦学生・中途で操縦免となり、一般の空士・空曹時代を経験したことから最も関わりたいと思っていた業務でもあった。指揮幕僚課程の受験を志した理由の一つに、将来、准尉・空曹及び空士の諸課題に関わりたい、そのためには上級司令部等へ勤務する機会を必要とした。

 人にはそれぞれの進む道があるものだ。運命の糸に引かれるように空士・空曹を経て部内幹候に進み、第一線部隊で要撃管制幹部として腕を磨いた後、航空警戒団司令部副官を経て人事幹部課程を終了し、整備補給群本部総務人事班長、基地業務群本部人事班長、長官直轄部隊の総務班長として現場の人事・総務業務を懸命に習得した。すでに自衛官歴も17年、階級も1尉の古参となっていた。

 空士・空曹時代にあこがれ目標とした先任空曹像、要撃管制幹部及び総務人事幹部として第一線における部隊勤務を通じて、部隊戦力の基盤をなす准尉、空曹及び空士の適切な人事管理と准尉及び上級空曹の位置づけ、役割、地位の向上は航空自衛隊の組織運営にとって最も重要なものであるとの強い認識を抱き、これにかかわることは自分に与えられた使命感のようなものを持つに至った。

 当時の身分と実力からは思いだけが大きく本流につながるには程遠いものであったが、いつかこうした課題に関わりたいと願うようになった。

❷ 念願の准曹士人事管理を担当 

 こうした思いと動機から指揮幕僚課程を目指して合格・卒業したこともあり、航空方面隊司令部にあっても准尉、空曹及び空士の諸課題に関わることができるようになり、幕僚勤務に精魂を傾けた。そこには厳しくも充実した空士・空曹時代を経験した自負と微力であっても准尉、空曹及び空士の諸課題に関して貢献したいとの強い意欲があった。

 こうしたことから、指揮幕僚課程を卒業し、最初に航空方面隊司令部勤務になったことは幸運であった。いつの日か己に課した使命を果たせたらと思っていただけに航空方面隊司令部で第一歩を踏み出すことができた。

❸ 曹士諸課題についての策案

 航空方面隊司令部においては、2か年にわたって准尉・空曹及び空士に関する人事業務を担当できたことはこの上ない喜びであった。その部署・配置にいてこそ担当に関わるあらゆる情報・資料・デ-タに触れることが出来た。

 この間、人事業務をこなしながら、准尉・空曹及び空士に関する諸問題を総合的に分析検討し、何が問題でどうあるべきか自分なりの策案と信念を打ち立てることができた時期であった。

 幸い次の補職から本格的に自分の考えてきた策案を司令部活動を通じて提案し実現できるようになった。

2.准尉・空曹及び空士の昇任管理

 昭和48年7月から、航空方面隊司令部人事幕僚として勤務した当時、担当業務の中でも「准尉、空曹及び空士の昇任」はすべての隊員が最も関心を持っていることの一つであった。これは今日も変わりがないであろう。

 昇任については、自衛隊法施行規則、昇任訓令等及び経歴管理基準等に規定されているが、当時の人事の実務面から見ると大体次のようであったように憶えている。 

 昇任は、隊員の士気に大きな影響を与えるばかりではなく、実質的にも長期にわたりは隊員個人の処遇に結びつくものであり、公平・公正であるばかりではなく、その機会は年度的にも特技的にも平等でなければならない。

 このため、空士については入隊期を、3曹への昇任については入隊年度を、2曹以上への昇任については3曹任命年度を基準とする期別管理によって、昇任管理が長期に安定するよう考慮し、3曹に昇任した者は、最終的には不適格者を除きほぼ全員が曹長に昇任できる計画であった。

 当時の各階級への昇任については、次のように実施していたように記憶している。

❶ 士長及び1士へは、不適格者を除き、原則として一斉昇任

❷ 2曹及び3曹へは、将来、幹部になり得る資質・能力を有する者については一部抜擢を図るが、主として能力と実績に経験的要素を加味して行う。

❸ 1曹、曹長及び准尉へは、実績を主とし、能力と経験的要素を加味して行う。