昭和の航空自衛隊の思い出(176 ) 老兵の平和安全法制雑感 

   このブログは、自分を中心とした事柄を主題としている。今後もこの方向で進むことにしている。昨今の平和安全法制に関して自衛隊OBの一人としてどのように受け止め感じているかを記してみた。皆さんが論じている視点からではなく、あまり論じられていない面から述べてみました。

1.   わが国の安全保障に関わる骨幹の方向性

❶ 平和安全法制の方向性と各種の論調 

 毎日の新聞テレビを見たり、国会審議を聴いていて、戦後70年を経ても、まだまだわが国の安全保障・防衛議論の中には皮相的で本質をとらえていないものが多いように感じる。

 35年余り航空自衛隊に勤務した者としては、平和安全法制関連法案に関して枝葉末節のことを取り上げ、ピント外れの論調や偏向した報道に疑問を持つことがあり、もどかしさを覚えることがある。

 現職を離れて25年、平和安全法制関連法案の個々の事柄については十分な情報資料とこれに基づく調査研究を行い、細部にわたり検討した結果を持ち合わせていないので、積極的に論ずることはしていない。今後もそうするつもりはない。

  ただし、平和安全法制の個々の内容ではなく、わが国の安全保障に関する 骨幹の方向性については、現在進められている内容は、大筋において本来のあるべき姿を追求していると考える。したがって、防衛任務の最前線で現職時代に痛切に感じ、心の中で求めてきた事柄が何十年にして、ようやく少しづつ法制化されるまでに進み、大きな骨格ができつつあると感じている。

 国家の骨幹をなす方向性を決めるのは、国民から選ばれた国会である。国会で信任された内閣総理大臣のリ-ダ-シップが最も重要となる。内閣総理大臣のリ-ダ-シップによる今回の平和安全法制関連法案は、わが国の国家防衛のあるべき姿からすればまだまだの感があるが、現下の国民の理解と政治情勢を考えると、政治的な配慮から段階的に進むことはやむを得ないことであろう。 

 自国の国防と外交政策の共通の認識・基盤

 世界各国に共通して言えることは、政党間で国内政策や主張が異なっても自国の国防と外交政策だけはそれほど大きな隔たりはなく共通点があるのが一般的であるといわれている。そこには自国の国防・軍事知識・軍隊についての共通の認識基盤があり、政争の具にしないのが世界の普遍的な常識でもある。

 それが、わが国においては、警察予備隊自衛隊創設以来の営々と積み上げた先人たちの英知と努力により自衛隊の存在、任務と活動について国民的理解が極めて高くなったとはいえ、前述の世界の普遍的な常識の観点からすると、かって政権を担った政党でさえ冷徹な国際環境に対応した自国防衛についての基本戦略が定まらず、反対を唱えるのみで対案がなく、競うことができない嘆かわしい状況にある。

 一部の政党・メディアにおいては、全く本質から外れた心地よい標語、反対のための情緒的な反対アジ、現実に即しない理想論・論調が行われている。「世界の常識」に立って、惑わされることなく、鋭い眼光で紙背の狙いを見抜くことが求められている。

 

2.国家の安全保障体制の基本認識

❶ 国家の平和安全法制は国の基本

 国家の安全保障体制の確立は国の基本である。戦後70年にして遅きの感が強いが、営々して積み上げた防衛法を基本として、平和安全法制関連法案として現行憲法の枠内で欠落した部分、足らざる部分を補完しようとしているのが今日の状況であろう。

 世界各国の安全保障に関する法制は、各国ともその内容に多少の違いがあっても、自国の憲法はもとより軍事法制、軍事組織とその運用を明確にしている。その点では、わが国は現行防衛法制では各種事態に対処し得ない様々な問題を抱えてきた。

 平和安全法制関連法案の提案は、現下の国際情勢からしても現行法制の補完整備であり、当然のことで時代の大きな潮流であるといえる。憲法改正をはじめとする本来のあるべき姿にはまだまだではあるが、国民の理解を得ながら一歩一歩を近づいていってもらいたいと願うものである。

❷ 世界の常識で考える

 この平和安全法制関連法案については、自衛権集団的自衛権などについて、国連および世界各国がどのように捉え国防体制を確立しているか、「世界の常識」、「世界の軍事常識」に照らして考え理解すると一目瞭然である。

 各人がこの問題をどのように受け止め考えるかという時に、世界の各国における「安全保障法制・体制はどうなっているか」との視点からわが国の現行法制と比較し、何が問題なのか、欠落しているのかを比較検討してみると分かり易い。

 新聞テレビでも各党の主張・見解の違いの一覧表はあっても、世界各国の安全保障法制・体制と日本との比較等の一覧表はあまり見かけない。世界の常識から見てどうなのかの国際的な視野から比較検討する視点が欠けているように思われてならない。

 何らかのためにする意識的な狙いがあるとすれば、いつの日か国民の理解が進めば見放されることになる。「自分の国を守る」ことを否定し、自国の平和と独立を放棄する立場・主張であればなにおか言わんやである。

 「世界の常識」を基準にして考察する

 「自分の国は自分たちで守る」「これが難しい時は同盟国と一緒に守る」これが世界の常識である。この観点に立てば、わが国の安全保障法制・体制をどのようにしたらよいかの英知が求められ、あるべき姿が見えてくるであろう。お互いが対案を出し合ってより良いものにする良識の府はどこに行ってしまったであろうか。

 一般国民にとっては、あるべき姿を描くとき、前述の「世界の常識」である「各国の安全保障法制・体制」を基準にして、新聞テレビ等メディアが取り上げている論調・主張・報道内容も二紙・局以上を読み・聴き比べて見ると理解が容易となる。

❹ 自衛隊OBの論文、防衛情報紙の活用

 別の視点からは、実際に第一線部隊で過酷な防衛任務に就いた経験のあるOBの論文・所見などを参考にして任務遂行に当たる現場で何が問題で、どんなことが阻害要因であったかなど理解して、考えると分かり易い。そこには政治的立場は全くなく、純軍事的な考察から導き出されたものであるということである。 

 これらの総合的な安全保障、軍事的な見地からの資料としては、「朝雲」新聞、隊友会の情報紙「隊友」、自衛隊父兄会の情報紙「おやばと」などを読めば結構OB等の研究した内容の記事・論文に触れることができる。(誰でも購読できる。)また、記事や論文などから防衛現場の実相や現職隊員の声なき声や心情の一端を知ることができる。それはOBが代弁している面があるからである。

 そこには厳しい過酷な任務を遂行したOBが世界の中における日本のあり方を主軸に、現状・将来の問題点と安全保障面・軍事面からの対処などを論じており、だれでも理解しやすい資料が満載されている。

 これらの情報紙を読めば少なくともピント外れの理解・認識や判断は少なくなるであろうと確信する。戦後70年たちもうぼつぼつ世界の国々と同じような普通の国になっていかなければならない。 

3.  調査研究等するのは当たり前、しない方が問題

❶ 現実に対応した最善の策案を作れ

 かって、45年前、指揮幕僚課程の2次試験の準備で術科教育本部長後藤清敏空将(陸士49期・陸大・陸少佐)から諭されたことがある。策案を練るには仮定や条件を付けず、すべてを対象として議論をせよ。策案の検討に当たっては、指揮官の前で賛成と反対の立場に分かれて、双方から徹底的に議論をせよ。冷徹な国家の命運を分けた戦いには甘え・油断・誤りはゆるされない。しっかり指揮官を補佐する幕僚となれ、状況錯綜の中でも的確な判断と決心ができる指揮官になれと教えられた。防衛の最前線には政治的な立場や主張、右も左もないからだ。或るのは厳しい現実への対応である。

❷ 任務遂行に関し先行して調査研究等をせよ

 先般、平和安全法制関連法案に関連して、統合幕僚監部が法案成立後の準備事項について調査研究等をしたと国会で堂々と取り上げている様子を見てわが耳を疑った。自衛隊が任務遂行に関してあらゆることについて調査研究等するのは、当然のことで当たり前のことである。

 調査研究等していないことを責められることはあっても、積極的に調査研究等しておくことは誉められることはあっても責められることはない。調査研究、検討した内容を実行するかどうかは法案が可決されて施行されてからの事柄であり、これこそ政治の決断にある。   

 公務員はもとより、民間会社でも自分の社業・商売に関して、将来予測される事態を含めてあらゆることを調査研究等して社業を発展させるのは当たり前のことである。当たり前の事があたり前でなくなることがむしろ問題であろう。

 自衛隊が国家防衛のため国民の生命と財産を守るため予測される事態に対処するための活動要領や手順を決め、訓練をするのも当然のことであろう。ありとあらゆる事態への調査研究等と訓練を重ねることは国民の負託にこたえる義務である。

 こうしたことで萎縮してはいけない。正々堂々と任務遂行に関することは調査研究等をして、その職務を全うしてもらいたい。

 

 内部資料が漏れることが問題

 問題は、調査研究等したことが問題ではなく、むしろどうして内部資料が外部に渡ったのか、入手できたのか保全体制等の内部組織の問題点が問題であって、その指摘は本末転倒であった。そのことを取り上げて質問したのであればさすがと感心したが、自衛隊の存立に反対といえども、今や時代が変わっているのにその対応に愕然としたものだ。最近は、私が現職時代によくはやった「爆弾質問」を卒業したと思っていたら、ざわめく国会審議に時代錯誤を感じたものである。

 民主主義国家である日本は、三権分立自衛隊の行動は法令に基づき政治が決定するシステムである。防衛行動の決定はすべて国民から選ばれた国会の承認、自衛隊最高指揮官たる内閣総理大臣の命令による。

4.世界の常識から見て考え判断する

❶ 自国の安全保障体制の国是

 戦後、よく言われたことに「日本の常識は世界の非常識」と揶揄されることがあった。世界を見渡しても各国の安全保障、外交の基本路線は明確である。時折、大統領、政権の交代により多少のぶれはあるが、基本路線に大幅な変更がないのが一般的である。

 近代国家においては、自国の安全保障体制に関しては、共通した法制・軍事組織等を保有し、その運用についても主要政党間で共通の認識と国民的な支持がある。 

 今日のわが国においては、安全保障体制に関して政党間の共通の認識が乏しく、政治的な立場・政争の具にしている面がある。国会の論戦を見ると、あまりにも世界の潮流から離れた軍事常識に乏しい様子を見るにつけその重症度を心配する一方、実際は分かっていても政治的立場でそうせざるを得ないと解するときはむしろ同情することがある。

 大東亜戦争敗戦後の占領軍の徹底した政策、戦後教育の影響とはいえぼつぼつ立ち直らないと厳しい世界で生き延びてはいけないと危惧する。国際情勢に対応してわが国の防衛体制をどのように作り上げ対処するのかといった本質的な質問・議論が深まらず、一部には末節の事柄、言葉じりと非難に終始しており、質問の中身も同じことの繰り返しでチャンネルを切ることさえある。

❷ 世界の常識に立った安全保障体制の確立

 民主主義の自由国家であるから、平和安全法制一つとっても、世界の常識を基準に、いかにわが国の安全保障体制を固めるかとの基本姿勢に立って、具体的な各方策について賛成、反対の様々な論戦があってよい。 

 冒頭の後藤本部長の諭しではないが、厳しい国際環境の中にあってわが国の安全保障の欠落しているところ、足らざるところをどうするか、ありとあらゆる見地からより良いものを作っていく姿勢・態度が一部に全くないのにがっかりするばかりである。 

 平和への理想は誰しも願うことである。冷徹な国際環境下で、理想と現実のはざまにあって、国家の平和と安全に関する物事をどのように捉え、考え、判断するかの基準は、「世界の常識」にあてはめてみると自ずと進むべき方向性が明確となってくると考える。