浜ちゃん日記  晩年はまるくなれるか

 一昨日は未明から雨が降り続いており、雨の中お墓参りに家内と一緒に出掛けた。浜松市西区神ケ谷町の洞雲寺だ。静寂の山門には9月のことばが掲示されていた。

 内容は写真の通りである。森羅万象、究極の理想の姿形は〇であるといってよかろう。人も物もまるくなると抵抗や摩擦も少なくなる。均等に圧力がかかり壊れないものだ。まさしく「まるく収まる」ことになる。

 形だけではなく、人の心もマルくなりたいものだが、なかなか難しいのが人の心だ。仏さんのような心になるときもあれば、鬼のように牙をむくこともある。両面を持っているのが人間でもある。これでよいのかもしれない。 

 若いころ激しい性格・気性の人が、晩年には角が取れて柔和な人になることもある。人様々であるのが人間であり、総じて晩年は丸くなるようだ。これは歳とともに経験を積んで人間が練れてきたということであろう。心にあらゆるものを受け入れる余裕の表れでもある。「受容」する心が備わり、心の器が大きくなったことでもある。

 性格の面から言うと、年寄りの場合は、大抵は性格がかわったというより歳をとって体力気力・意欲が衰えていることにあるように思えてならない。

 自分はどうだろうかとふと考えて苦笑した。家人は「若い時は温和であったのに、歳をとったらだんだん厳しくなった」と言う。人間の気づかない一面であろう。そのうち「丸くなるよ」と答えている。いつの日かマルくなって終末を迎えることになろう。  

 

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 洞雲寺山門入口の9月の掲示版「マルく生きよう」 》