昭和の航空自衛隊の思い出(175 ) 上級司令部の幕僚勤務

1.上級司令部人事幕僚の修練

 昭和48年7月から2年間西部航空方面隊司令部における人事幕僚としての勤務は、総じて人事幕僚の練成一途の毎日であった。人事業務の対象人員・業務処理量・上下左右の幕僚調整は飛躍的に多く、新しいことへの挑戦と経験の連続であった。

 こうして、方面隊レベルの人事幕僚業務は、初めての経験であったがその習得・熟知に全力を傾注することができた。従って、この2年間は尊敬する上司の指導と優秀な部下隊員に支えられ、人事幕僚として自信を持って大きく羽ばたく基盤が確立されることになった。

   「幕僚勤務」教範に記述されている幕僚の真髄・本質を理解し、毎日の司令部活動を通じて実践していった。

2.大きな転換点となった方面隊司令部勤務

 35年余の自衛官生活を振り返るとき、指揮幕僚課程を卒業するや、勢いに乗って2か年間、西部航空方面隊司令部において本格的な司令部活動を経験したことが大きな転換点であったように思える。

 それは現場の群レベルと団司令部の実務経験を経て、現場と各級司令部の一貫した人事活動のあり方に確固たる自分なりの考えと自信を持つに至ったからである。階級的にも後半は1尉から3佐に昇任し人事幕僚としての職務と責任が一段と増してきた。俗にいう実力が多少でも身について自信がつき度胸が据わってきたということであろう。

 次の補職となった小松基地に所在する戦闘航空団である第6航空団司令部人事班長として赴任した時には、人事幕僚として信念と自信を持って何事にも積極的に立ち向かう生活が本格的に始まった。

3.自衛官人生の結節

 人生に竹の節目のように結節があるものだ。第1期操縦学生、操縦免、空曹昇任、結婚、部内幹候合格・卒業、要撃管制官と第一線部隊勤務、長男の誕生と妻の急死、再婚、副官、人事総務幹部への転進、群レベル部隊勤務、指揮幕僚課程合格・卒業、航空方面隊司令部勤務となった。階級的にも後半は1尉から3佐に昇任し人事幕僚としての職務と責任が一段と増してきた。

 その後、航空団司令部、航空総隊司令部、飛行教育集団司部の人事幕僚、術科学校教育科長、航空警戒管制団司令部、航空幕僚監部人事幕僚と進んでいった。

 総括してみると、前段の入隊から航空方面隊司令部勤務までの約20年間は、任務に就きながらの修練・充電の期間であったように思える。その後の約15年間はそこで培った知識・経験・能力を活かして自信を持って存分に活動する機会を与えられ、実力を発揮できた時期であった。

 その意味からも、前段の実務・練成の職務遂行型から後段は実務主導・後継者の育成指導・積極的な職務遂行型へ転換し、はっきりと潮目・転換点が自覚された。

 職務の面から見ると、後段は今までに調査研究、蓄積した策案の積極的な具申と実現への努力、部下の育成、職域後継者・指導者の養成といった事柄に意識して力を注ぐようになった。それは自分の役割と責任がはっきりと見えてきたことにある。

 幸いに、操縦学生・部内幹候出身者として指揮幕僚課程の修了が目に見えぬ絶大な威力を与えてくれ、あらゆる場面で信頼されることにつながっていった。