昭和の航空自衛隊の思い出(171 ) 西部航空方面隊司令部勤務

1.その時何を考え立ち向かったか 

    「昭和の航空自衛隊の思い出」は、昭和30年6月から平成2年3月まで35年余にわたって航空自衛官として部隊・機関及び団、方面、総隊の各級司令部・航空幕僚監部に勤務した。この間どんなことを考え立ち向かったのか人生の総決算としてまとめがらブログ化しているものです。いつの間にやら171回目を迎えることになった。
 特に才能に優れたり、飛び抜けた功績があったわけでない。言うなればどこにでもいた普通の自衛官の一人であった。強いて言えば陸自の新隊員を経験し、空自の操縦学生から転進した部内幹候出身であったということぐらいであろう。
 航空自衛隊は、昨年、創設60周年を迎えた。昭和の航空自衛隊の全体像を私ごときが語ることなど毛頭考えてもいないし、出来ることではない。
    大組織にあって、一隊員の勤務経験などたかがしれているが、私が歩んだ足跡を基軸に自衛官人生を綴ることはできる。
    その主点は昭和の航空自衛隊に勤務した当時を回想し、自衛官の勤務経験と生活を軸に、どのように勤務し、どんな問題と取り組み、何を考え、行動したか。どんなことに悩み、立ち向かったかなどを「昭和の航空自衛隊の思い出」として綴っているものです。
 自衛官生活を振り返って、昭和の自衛隊は、すべての隊員に「創造」「挑戦」「前向き」が求められ、その気になればいろいろなことができた時代であった。
 
2.西部航空方面隊司令
 昭和48年7月航空自衛隊幹部学校の指揮幕僚課程を卒業して、初度の配置は、西部航空方面隊司令部勤務であった。当時の航空自衛隊の編制は下表の通りであった。西空の部隊編制は西部航空音楽隊を除き、現在と基本的に変わっていないので、西部航空方面隊のホ-ムぺ-ジを参照することにした。(組織内の編成・装備機材等は時代を経て相当変わって充実てきた。)
 

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 《 昭和48年度末の航空自衛隊の組織 》
 
西部航空方面隊
(西部航空方面隊WESTERN AIR DEFENSE FORCEのホ-ムぺ-ジ出典)
西部航空方面隊司令
5空団

 西部航空方面隊司令部は福岡県の春日基地にあり、2つの戦闘航空団と1つの警戒管制団を含む7つの隷下部隊を統括して西の空の守りにあたっています。

 

西部航空方面隊の編制
 
 西部航空方面隊部隊配置 
 
3.人事部人事班の准尉・空曹・空士人事担当
   人事部は人事班、職員班、訓練班及び厚生班からなっており部長1佐、各班長2佐及び相当事務官であった。
 人事班は、幹部人事担当、准尉・空曹・空士人事担当及び服務担当から成っており、准尉・曹士人事を担当することになった。最も担当したいと思っていた分野であり、やり甲斐のある業務であったが、司令官の准尉・空曹の任命権行使にあたって、いささかの誤りも許されず、資料の作成・調整・点検確認・発令案文の起案など作業量も多く最も忙しいポストであった。
 当時の准尉・空曹・空士人事担当業務の特色は、四つ挙げることができる。
❶方面隊司令官は准尉及び空曹の任命権を有しており、昇任・昇給‣異動など隊員の身分、人事管理に関する業務を担当する部署
❷対象が方面隊司令部及び2個戦闘航空団、1個警戒管制団を含む7個の隷下部隊の准尉・曹士隊員で数千名の人事を統括
❸西空支援の地方連絡部に派遣している准尉・曹の任免権を有していることから昇任・昇給‣異動など隊員の身分、人事管理に関する業務を担当
沖縄返還に伴う南西航空混成団へ要員の多数送り込みと交代要員の補充業務
*当時「任命とは、隊員の任免,補職、入所 、入校、休職、復職、懲戒処分及び昇給を行うことをいい、この行為は長官又はその委任を受けた者が行なう。」
 
4.一緒に仕事をした人たち
  西空司令部には、昭和48年7月~50年7月までの2年間勤務したが、この間、准尉岡本英気・1曹長友忠光・1曹本城武治・2曹井上功一・3曹古賀元治・3曹小嶋将人・3曹吉田傳史・士長柳田秀文・事務官水城滋子の皆さんにお世話になった。
 いずれの准曹士・事務官とも優秀な人材の一群であった。
 准曹士人事では、とりわけで本城武治1曹の昇給・昇任資格資料の作成、地連勤務者集合教育の設営と井上功一2曹の充員計画資料の作成はち密かつ正確で人事業務処理能力は抜群であった。当時、パソコン・電卓のない時代で、諸計画の作成における計゚数計算をたちどころに正確に処理してくれたことが印象的であった。
 指揮幕僚課程を卒業してきたといっても、方面隊司令部という大組織での幕僚業務はすべて初経験であった。そこで人事空曹の持てる能力と手腕を最大限発揮してもらい正確な基礎資料を作り、それを元に英知を絞って諸計画の作成を進めることにした。
 空曹の真髄を発揮して、実に私の両腕となって活躍してくれた。私にとって終生忘れられない仲間・戦友であった。
 
5.絆を深めた交流
 人事班長牛尼敬二2佐の懇切な指導を受けながら着実に幕僚業務をこなす毎日て゛あった。牛尼班長は温厚な方で部下の面倒見がよく上下の絶大な信頼を得ており、指揮統率について学ぶことが多かった。
 私的な面では初めてゴルフを始めた。春日基地ゴルフ部に入り、牛尼敬二班長、井上功一2曹と一緒に久留米の河川敷のゴルフ場でのプレイに参加した。
 また、永友忠光1曹の手引きで魚釣りに出かけるようになった。永友1曹は、上下の関係をうまく調整し、隊員の面倒をよく見るピカ一の空曹であった。後年、私が西空隷下の西部航空警戒管制団司令部人事部長として、二度目の春日基地へ勤務した折は、奇しくも人事部をまとめる服務准尉として迎えてくれて、私を再び補佐してくれることになった。
 人の縁とは不思議なものである。長友准尉は、常にニコニコして温厚にして何事にも積極的に取り組み、抜群の補佐であったことが忘れられない。