浜ちゃん日記  8月15日という日

1.戦没者を追悼し平和を 祈念する日

 8月15日は、 昭和20年(1945)8月15日に、大東亜戦争が終結した日である。昭和57年(1982)には、この日を「戦没者を追悼し平和を 祈念する日」とすることが閣議決定された。新聞等では「終戦の日」と一般的に使っている。

 終戦から70年を迎えた今日は、政府主催の「全国戦没者追悼式」が日本武道館で開かれた。天皇、皇后両陛下のご臨席のもと、安倍晋三内閣総理大臣や全国各地の遺族ら約8千人が参列して、戦争の犠牲となった軍人・軍属約230万人と一般市民約80万人の計約310万人の冥福を祈り、平和を祈念したと新聞テレビは報じた。

    私は一人静かに、当時に思いを致し、戦没者のご冥福をお祈りし、平和を祈念した。

 多くの追悼の辞などでは「さきの大戦」という表現をしているが、私は史実に基づき、「大東亜戦争」と呼ぶことにしている。

 「大東亜戦争」について、「はてなキーワード - はてなダイアリー」によると、大東亜戦争いわゆる「太平洋戦争」の、当時の日本における公称。

第二次世界大戦のうち、アジア・大平洋方面における日本とアメリカイギリスオランダ等の連合国軍との戦争をいう。

一般には1941年12月8日(現地時間12月7日)のマレー半島上陸、および真珠湾攻撃ハワイ海戦)によって開戦。1945年8月15日のポツダム宣言受諾によって終了したとされる。

対米戦の名称について、海軍は当初「太平洋戦争」またはそれに類する名称を希望したが、「支那事変ヲモ」含めるという陸軍の希望を入れる形で大東亜戦争との呼称が決定されたとされる。

大東亜戦争」が日本における公称として決定されてから後は変更手続きなどはなされていないので、形式上は現在でも大東亜戦争がいわゆる「先の大戦」の公称ととらえることは可能になる。

戦後はGHQによってこの語の使用は(事実上)禁止され、政治的に「太平洋戦争」と置き換えられることとなった。

  

2.昭和20年8月15日の思い出
 昭和20年8月15日は、日本が大東亜戦争に敗れた日である。当時、国民学校4年生の夏休みであった。お昼ごろわが家のがぁがぁと雑音の発するラジオで玉音放送を家族や隣近所の大人たちと一緒に聞いたことを覚えている。 
 この日は猛暑で、夕方に梨畑に姉と一緒に「二十世紀梨」を取りに行ったことを覚えているが、「戦争に負けた」「戦争が終わった」ことを理解した程度であった。
 むしろ、その後の連合軍の日本進駐、占領下において教科書の各箇所を墨で消しまくった時の方が強烈に印象に残っている。
 
3.天龍山洞雲寺の山門施餓鬼法要
 今日の午後、浜松市西区神ケ谷町の天龍山洞雲寺の山門施餓鬼法要に檀家の一人としてお参りした。広い本堂も新盆を迎えた家族、一般の方で超満員であった。とりわけ新盆を迎えた家族は、身なりを整えての参詣であり、厳粛に執り行われた。
法要は洞雲寺住職のもと7名の僧侶によって営まれ、御詠歌、読経、水向等が諸式に基づいて行われた。
    初盆の家庭では、夕方には送り火が行われた。
 

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《 天龍山洞雲寺の山門施餓鬼法要 》