昭和の航空自衛隊の思い出(162) 指揮幕僚課程の卒業式・祝宴と夜の卒業式

1.妻も招待された晴れの卒業式

 昭和48年7月一年間の勉学を終えて晴れて卒業式を迎えた。岩崎亭学校長からは配偶者に対して招待状が渡された。一年間の家族の苦労を称えるとともに卒業の喜びを分かち合うものであった。子どもの世話は託児所を設けるなどの配慮が行われた。わが家は妻の姉が浜松からやってきて市川官舎で子供の面倒を見てくれることになった。

 狭い官舎であったが、勉強部屋を設けたりして勉学に専念出来る環境があった。家族全員にその分不便をかけたことであろう。家族に対して心から感謝した。

 古びたアルバムには妻あての招待状が挟まれていた。昨年は金婚を迎えたが、自衛隊関係の式典等、晴れがましい席に出席したのは、このCS卒業式・祝宴と東京は椿山荘での退官パ-ティ、平成18年・70歳時に防衛功労による春の叙勲で陛下への拝謁と航空幕僚長主催の祝宴の3回のみであった。

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 卒業パ-ティは市ヶ谷会館で開かれた。

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2.夜の卒業式で「ハンカチ」を贈られる

  卒業式の前に、学生と学校長・課程主任・教官を交えた夜のパ-ティが行われた。一年間の修学の間おける様々な出来事の中で印象的な出来事をとらえてプレゼントがあった。

 私には、「ハンカチ」が贈られた。それは学校長視察時の発表の場で、私が行動方針を列挙して、「o-1、o-2」と述べる中で、「オ-ワン、オ-ツ-」を堂々と「ゼロワン、ゼロツ―」言ったので教官陣冷や汗をかいたとのことで「ハンカチ」となった。

 この時まで、誰もそのことを言ってくれなかったので、聞いてびっくり赤面の至りで、いっぺんに大汗が吹き出てハンカケチを必要とした。幹部普通課程(soc)や普段の発表で何回も行動方針の列挙で、「オ-ワン、オ-ツ-」といってきたのにどうしてそのように発声しか不思議てならないが今となっては良き思い出となった。多分できの悪い学生が一人いて教官陣も苦労されたことであろうと推察される。

 落語の「〇〇とかけて何と解く、その心は?」式の変形であった。ちなみに、大井哲夫3佐(防3)は、「おもちゃの時計」・(シツモンマ)・「時間切れなど何のその」、和泉光和3佐(外21)は、「変身人形(仮面ライダ-)・(心理学者から戦略家に大変身)・「高入場料戦略論とかいうメイ戦略論の発案者」など全員を列挙したらきりがないくらいだ。さすが教官陣と感心したものであった。私は反面教師的にこの発想と手法を再活用することにした。 

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《 夜の卒業式で、左から松沼益雄3佐(防5)・教官増田2佐・濵田喜己1尉(内23・操1)・学校長岩崎亭空将・上村俊一3佐(防5)・中村新三郎1尉(防7)・永富嘉一郎1尉(航5) 》

 

3.川柳調等を取り入れたプレゼント

 この夜の卒業式で冷や汗をかいた「ハンカチ」は強烈であった。これを糧にあるアイディアが湧き出た。それは、卒業して部隊勤務になったら、川柳調ないしは氏名の頭文字を取り入れた簡明な文章・詩の中に、日ごろの隊員の特色、出来事をとらえて、作品を作り、忘年会・送別会等に披露活用してみようということであった。

 各級司令部の幕僚勤務においては、皆の協力を得てこうした催しは大好評で拍手と爆笑の場と化した。退官するまでこの手法を取り入れて実行した。回を重ねるごとに中身が濃いくなって、色紙に書いてプレゼントするようになった。指揮幕僚課程の卒業式の「ハンカチ」の効用が生きてきたのである。

 第3術科学校では第4科長として、人事・総務・要務・教育技術・上級空曹の各種課程修了者には、全員に全教官の知恵を集めて川柳調の詩を夜の部でプレゼントした。

 私にとって、指揮幕僚課程における出来事は、こうした面からも自衛隊生活を心豊かにする教育成果があった。

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 《 昭和55年飛行教育集団司令部人事班長(2佐)を離任するにあたって、濵田喜己の使命を班員で織り込んで達筆家の斎藤衛1尉から贈られたものである。贈る側に回っていたが、ここでは最後に贈られる側になっていた。》

 

4.九州の新任地へ赴任

 入校時の学生の階級構成は3佐19名、1尉21名であったが、その間3佐への昇任があり、卒業時は3佐27名、1尉13名となっていた。

 昭和48年7月16日付で、課程修了者全員が航空幕僚監部、各級司令部、部隊・機関へと配置された。私は、九州は春日市に所在する西部航空方面隊司令部勤務を命じられ人事部人事班で准尉・空曹・空士の人事を担当することになった。

 西空司への配置は、私一人だけであり、人事部はCS課程修了者は人事部長を除いて私一人であり、新たなる武者修行が始まった。担当係には優れた人事空曹が配置されており恵まれた環境にあった。さまざまな新しいことに挑戦する機会が与えられることになった。