隊友会活動(18)隊友の野辺送り

1.故児島公洋隊友の野辺送り

 児島公洋隊友が逝去された。享年73歳・元3等空尉、誰にも負けないファイトマンも病魔には勝てずこの世を去った。航空自衛隊で「メディク」と呼ばれる「救難員」として強固な使命観、強健な身体と超人的な体力、強靭な精神力を持った児島隊友の永眠は惜しまれる。私よりも若い隊友であるだけに残念と惜別の情新たなるものがある。

 私の同期生・第1期操縦学生の井上正彦君と重村和彦君は航空自衛隊の救難員(メディク)の草分けとして大活躍したことを承知しているだけに、人一倍この厳しい職種と任務に関心を寄せていた。

 かって十数年前に、隊友会浜松支部長をしていたとき、私の健康を気遣い、今はやりの黒酢を手に入れたのでと一本持参し、元気をつけてくれと心配りをしてくれたやさしさに感動したことが思い出された。隊友会活動では、積極的にボランティア活動に参加していた。また、隊友会のボランティア活動に初めて草刈り機などの動力機の導入を試み戦力倍加を図ったことがあった。

    児島隊友のご冥福をお祈り申し上げます。

 

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《 遺影のそばに隊友会浜松支部旗が配置された。児島公洋隊友はきっと喜んでくれたであろう。》

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 《 故児島公洋隊友を偲ぶ思い出の遺品・写真等、何といっても救難員・落下傘降下員のマ-クは胸に輝く 》

 

2.浜松航空隊歌でお見送り

 7月31日故児島公洋様葬儀・告別式には多数の隊友が参列し、ひつぎを囲んで「浜松航空隊歌」を合唱しお見送りした。隊友故人をお見送りするに際して、「浜松航空隊歌」を隊友全員で合唱するのは、隊友会浜松支部の伝統であり、誇れる大きな特色の一つとなっている。

 退官後、何十年たっても隊友が集まって、「浜松航空隊歌」で送り出す情景は悲しみの中にも感動と友情がある。国家国民のために命をかけて働いた隊友の共通の自負心というものであろう。これこそが自衛隊の任務完遂の根源である。

 特に、救難員・メディクは平時の任務遂行そのものが自己の生命をかけたものだけにその団結力は極めて強いものがある。全国の救難部隊の隊員から先輩の逝去に際して驚くほどの多数の弔電が寄せられた。何を物語るであろうか。

3. 国家国民を守れる安保法制整備への期待

 黙々と昼夜を問わず救難待機についている部隊・隊員がいる。全国各地の航空自衛隊の戦闘機部隊、警戒航空部隊、警戒管制部隊、ナイキ部隊等々あらゆる分野で、更には陸上・海上自衛隊の部隊等が24時間我が国の平和と独立を守るため厳しい条件下で任務に就いていることを忘れてはならない。海外で国際貢献には励んでいる部隊・隊員がいる。

 第一線の現場では、空理空論・観念論は一切通用しない現実がある。党利党略といったちっぽけな立場ではなく、冷徹な 国際環境の大局にたって、英知を絞って、部隊隊員が任務を遂行するにあたって、国家国民の負託にこたえられる必要にして十分な策案・対案を法制面のみならずすべてにわたっての体制整備が求められている。

 

f:id:y_hamada:20150731121557j:plain 《 隊友が隊友会浜松支部旗を掲げひつぎを囲んで《浜松航空隊歌》を合唱し故児島公洋隊友をお見送りした。「浜松航空隊歌」これほど昭和30年から愛唱された隊歌は素晴らしいものだ。名隊歌中の隊歌といって過言ではない。》

 

3.救難員・メディク

  救難員・メディクは、近年テレビ等でその活躍が広く知られるようになった。

航空救難団のホ-ムぺ-ジから抜粋(出典)