昭和の航空自衛隊の思い出(155) 指揮幕僚課程でソ連三軍55周年記念パ-ティ出席

 昭和47年、ソ連崩壊以前の事柄であるが、指揮幕僚課程期間中に、ソビエト連邦三軍55周年記念パーティが駐日ソ連大使館で行われ招待を受け出席したことがあった。指揮幕僚課程学生の中から8名が指名されて出席した。米空軍のパ-ティ等は経験してきたが、当時ソ連のパ-ティは初めての経験であった。どうして私がそのメンバ-の中に入ったのかその経緯は忘れてしまったが、またとない良い機会なので経験させてやろうとの空幕及び学校当局の配慮であったのであろうか。

 それにしても駐日の外国大使館に入るのは初めてで興味と緊張があったことを覚えている。防空の第一線部隊で要撃管制官として勤務していた当時は、ソ連の「東京急行」といわれていた飛行に対して、スクランブル対処してきただけに強い関心があった。 

 自国の三軍記念日等に際して、祝賀パ-テイが開かれて関係国の軍人等を相互に招待するのは国際的な慣例・儀礼ともいえる。自衛隊記念日に在外公館で軍人等を招きレセプションが行われるのと同じであろう。ソ連三軍記念日行事への出席は、米ソの冷戦時代といえども日ソの国交により軍人・自衛官相互の交流は行われていた。

 パ-ティへの出席を通じて、情報戦、諜報戦などに関心を持つことになり、非常に印象に残っている。

 招待を受けた学生は夫婦同伴で参加したが、妻は遠慮したいとのことで一人で出席した。当該国の大使館内は日本の主権の及ばない「治外法権」の区域であること、当時米ソ冷戦時代であり、同期生から冗談でおまえは帰って来れなくなるかもしれないと冷やかされたものであった。

 丁重なおもてなしと美女に囲まれ、実に流暢に日本語を話す館員と語らいながら過ごした。にこやかに見送られて無事に大使館を退出したことがある。大使館の入口付近は警視庁の警察官が周辺を警戒していたことを覚えている。

  

f:id:y_hamada:20150722224452j:plain

《 ソビエト三軍55周年記念への招待状 》

 

f:id:y_hamada:20150722225238j:plain

 《 加藤3佐・濵田1尉・松田1尉 》

 

f:id:y_hamada:20150722230938j:plain

 《 碓井1尉と加藤3佐 》

f:id:y_hamada:20150722230330j:plain

 《 松田1尉と森田1尉 》  

 

f:id:y_hamada:20150722230500j:plain

 《 永尾1尉と大井3佐 》

f:id:y_hamada:20150722224554j:plain

  《 永富1尉と森田1尉 》