昭和の航空自衛隊の思い出(152) 指揮幕僚課程学生の構成

1.指揮幕僚課程学生層の変化

 昭和30年の第1期指揮幕僚課程から学生の構成は、陸士・海兵等旧軍経験者が主力を占めていたが、昭和41~42年の第15期で陸士・海兵等出身者は終了し、学生層の交代期となった。

 防衛大学出身者が学生として入校したのは、昭和43~44年の第17期から、航空学生出身者は昭和46~47年の第20期からである。戦場体験のない学生で構成されるようになったことから、指揮幕僚課程の教育内容・課目面にも変化がでてきたことは当然であろう。

2.指揮幕僚課程の部内出身者

 第21期指揮幕僚課程において、学生40名の内部内幹候出身は私1名であった。あらためて当時、部内幹候出身者はどの程度CSCに入校・卒業しているのか手持ちの資料でまとめてみた。

 創設期から少数ではあるが、意外に部内幹候出身者がいたことに驚いた。航空自衛隊の指揮幕僚課程が試験選抜制度に移行した第10期(昭和36~37年)から27期(昭和53~54年)までを見ると、修了者649名に対して部内出身は22名で全体の3.4%となっている。部内幹候出身者の受験者数は不明であるが、特別珍しいことでもなく出身区分にかかわらず選抜競争試験で正当に取り扱われている証左といえるであろう。

 ちなみに、私が入校する以前の部内出身のCS卒業者は、14期佐久間元治3佐(中学・昭19.3)・谷田旭1尉(中学・昭21.3)、15期小澤重信3佐(陸内10期)・江藤光総1尉(中学・昭20.3)、17期由田昭策3佐(部内4期)、20期西嶋伸太郎尉(部内22期)の6名であった。

 私は部内23期であることからみんな大先輩であった。谷田さんを除いて面識があり、それぞれの分野で尊敬する大先輩であった。

 佐久間さんは私が要撃管制官になったころから要撃管制の分野で俊腕を発揮されており、司令部幕僚としての活躍や要撃管制の計算盤の考案等で名をはせておられた。

 小澤さんは人事の大先輩で、飛行教育集団司令部の人事班長・2佐で着任した折、人事部長・1佐としてお仕えした。人事の神様的存在で親しく教示と思う存分働く機会を与えていただいた。

 江藤さんは、入校間21期CSの課程主任補佐としてサポ-トしていただいた。学生の生活・服務・体育・校外活動等を担当されて大変お世話になった。

  由田さんは直近の課程修了者であり、指導と激励をいただいた。西嶋さんは第1期新隊員として頭角を現し、部内幹候も1期先輩であった。

 いずれにしても、指揮幕僚課程の受験を胸に秘めたころ、先輩の存在を知り、大きな指標となったことを覚えている。

3.指揮幕僚課程の航空学生出身者

 航空学生出身者が指揮幕僚課程に初めて入校したのは、昭和46~47年の第20期に第1期操縦学生出身の菅原淳君である。航空自衛隊の戦闘機パイロットとして、教育訓練、作戦運用の中枢で活躍し、第4航空団司令兼松島基地司令・空将補として見事に職務を全うした。

 私も第1期操縦学生であるが、操縦適性面から早い時期に転進し、部内幹候選抜試験を経て要撃管制・人事総務の分野に進み、部内幹部として管理されてきた。

 航空学生出身者の指揮幕僚課程への入校者数は、当時各期2~3名であった。ちなみに、第21期は、防大28名、大学7名、航学4名、部内1名の構成であった。

4.指揮幕僚課程学生の選抜

 現職時代、後年、空幕人事課に勤務した折、指揮幕僚課程学生選抜試験の第1次試験の職域問題の作成及び採点業務を担当したことがある。指揮幕僚課程学生の選抜試験がいかに厳正かつ適正に処理されているかを経験した。

 指揮幕僚課程学生の選抜試験に関しては、出身・期別などに関係なく、受験資格として年齢・階級・回数などと部隊長推薦という制約はあるものの資格を有する全幹部に広く門戸が開かれており、試験に挑戦する機会が与えられていた。現在もそのような仕組みであろうと推察している。