わが神原町は町が誕生する昭和30年以前、昔から野原に山つつじが群生していたと古老が語っておられた。こうしたことから神原町誕生50年に当たって神原町自治会総会で決定した「まちづくり構想」において町の花を「つつじ」とした。
「つつじ」は当時群生していた「山つつじ」を取り入れることになった。幸い当時の山つつじの子孫の一部が残っていたので、挿し木をして現在4本を育成し神原会館に配置した。単なるつつじではなく、歴史のある「神原の山つつじ」である。数年後には大きくなるであろう。
今年も山つつじを挿し木して増やそうとの新たなる挑戦をした。2年後に何本残るかやってみることにした。気の遠い事柄であるが、10年後を見通して、神原会館の周りが「山つつじ」で囲まれることを描いている。そのロマンは必ずや実るであろう。
将来的には、成長した4本から毎年挿し木して増やしてみたいものだ。いつの時代も次から次へと受け継がれ新たなる命が誕生し育まれるに違いない。
こうしてみると、今や10年になろうとするまちづくりの一つとして始めた「神原町の花と緑いっぱい活動」も当初描いた構想が、歳月が経つにつれてまちづくりのロマンとして一つの形になりつつある。
昔からの古い地縁の地域社会には、斬新的なものをなかなか受け入れられないものがあったが、現代は新しい若い世代が増えつつある。町をよくする新しい発想が若い人たちから出てきてほしいと思うのは私だけの願いであろうか。
何事もそうであるが、新しいものを作り上げるには、住民の要望・二-ズを的確に把握し、吸い上げて、積極的・主体的な発想・活動を推進する気骨のあるリ-ダ-が求められる。
《 今回も、古老たちが子供の頃神原の里に群生していた山つつじの子孫といわれる山つつじから挿し木を採集し、50個作った。》
《 古老たちが子供の頃神原の里に群生していた山つつじの子孫、この木から挿し木をして育てた。いつしかこの山つつじも絶えるであろうが、新たなる命が受け継がれ神原会館の周りに新しい命を育んでくれるであろう。》
《 前回採集した山つつじ挿し木から育てた「神原の山つつじ」を4本神原会館へ移植した。本格的な竹の枠組みは花の会会員の坂本義一さんによって作られたものである。 》
2.つつじの育成
って昭和30年神原町が誕生してから、町内の釜穴川に沿ってつつじ等を植樹する活動が行われた。今では忘れられ、現在は数メ-トルの高さになりひっそりと歴史の裏側で生き延びている。毎年花を咲かせている。
《 この木から挿し木して育てたつつじが健康広場のの開水路沿いに15本ほど植えられて現在大きくなって花を咲かせている。神原町花の会で育成・移植したものが今後どのように発展していくのか。》