昭和の航空自衛隊の思い出(148) 指揮幕僚課程の入校

1.1年間の学生生活の始まり

 昭和47年7月航空自衛隊幹部学校において第21期指揮幕僚課程を履修することになった。時に航空自衛隊歴17年、1等空尉3年、満37歳であった。

  学生は、学生長の3佐大井哲夫(防大3期)、3佐永島侑一郎(防大3期)、坂田勉(防大3期)、3佐棚橋徳五郎(防大3期)、3佐森寛太郎(防大3期)、3佐金子正秀(防大3期)、3佐和泉光保(部外21期)、3佐利渉弘章(防大4期)、3佐山口真道(部外21期)、3佐安村弘(部外25期)、3佐加藤公明(防大4期)、3佐南雲宏(部外25期)、3佐竹内聖雄(防大4期)、3佐斎藤芳信(防大4期)、3佐石川儀一(部外25期)、3佐大石寛郎(部外28期)、3佐江口則光(防大5期)、3佐菊池文男(防大5期)、3佐松沼益雄(防大5期)、1尉安養寺文夫(部外21期)、1尉嶋崎忠雄(防大4期)、1尉井上正和(防大5期)、1尉金井義憲(防大5期)、1尉古川和男(防大5期)、1尉上村俊一(防大5期)、1尉永尾和夫(防大6期)、1尉高橋伸治(防大6期)、1尉中村紀夫(航学4期)、1尉碓井克典(航学4期)、1尉渡部成隆(防大6期)、1尉佐藤充男(防大6期)、1尉藤原忠晴(防大6期)、1尉濵田喜己(部内23期)、1尉富永嘉一郎(航学5期)、1尉中村新三郎(防大7期)、1尉森田忠信(防大7期)、田中伸昌(防大7期)、1尉稲垣輝昭(防大7期)、1尉松田幹生(航学5期)、1尉藤井保(防大7期)の40名であった。

 学生の階級は、3佐19名、1尉21名であった。出身区分は、防大28名、部外7名、航学4名、部内1名であった。

   在学間に1尉の安養寺文夫、嶋崎忠雄、井上正和、金井義憲、古川和男、上村俊一、永尾和夫、高橋伸治の8名が3佐に昇任した。卒業時は3佐27名、1尉13名であった。

2.再び歴史に名高い市ケ谷講堂で入校式

 昭和47年7月25日学校長岩崎亭空将(陸士52期、陸大(20.8)、陸少佐(19.12) )以下主要幹部はじめ来賓及び教官陣のもと歴史に名高い市ヶ谷講堂において厳粛に入校式が行われた。

 平成45年1月~4月幹部普通課程で学んだ折、入校式・卒業式に臨んだが、再びこの講堂で晴れの入校式を迎えるとは予想だにしなかった。身が引き締まる思いであった。感慨無量であった。 

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 《 第21期指揮幕僚課程の入校式、当時の入校式は簡素であったように記憶している。 》

 

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《  第21期指揮幕僚課程入校時、正面玄関前での記念写真、学生は2列目左から斎藤芳信3佐、金子正秀3佐、松沼益雄3佐、森寛太郎3佐、中村新三郎1尉、大井哲夫3佐、大石寛郎3佐、石川儀一3佐、安養寺文夫1尉、、竹内聖雄3佐、3列目左から、富永嘉一郎1尉、1尉碓井克典、古川和男1尉、井上正和1尉、和泉光保3佐、利渉弘章3佐、江口則光3佐、中村紀夫1尉、森田忠信1尉、4列目左から山口真道3佐、安村弘3佐、棚橋徳五郎3佐、濵田喜己1尉、南雲宏3佐、永尾和夫1尉、永島侑一郎3佐、藤原忠晴1尉、上村俊一1尉、稲垣輝昭1尉、5列目左から佐藤充男1尉、渡部成隆1尉、加藤公明3佐、菊池文男3佐、嶋崎忠雄1尉、松田幹生1尉、坂田勉3佐、金井義憲1尉、田中伸昌1尉、藤井保1尉、高橋伸治1尉 》 

 

 3.由緒ある市ケ 谷台

   市ケ谷 台は、幹部学校の幹部普通課程で学んだ。再び指揮幕僚課程で1か年勉学に励む場となった。当時東京にこんな静かな広い場所があるかと思ったものである。

 今日、防衛省が所在し、入校当時の建物も歴史上のものとなってしまった。見学コ-スが設けられおり、一度何かの機会に見学したことがある。懐かしかったことを覚えている。 

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 《 幹部学校指揮幕僚課程入校当時、 市ケ谷台から見渡す新宿方面 》

 

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《 幹部学校指揮幕僚課程入校当時、市ケ谷台に陸・海・空の幹部学校が所在した。》

 ❶ 市ケ谷台の歴史  防衛省関係資料から出典)

 ここの敷地の広さは5万坪で東京ドーム4.5倍の広さにあたる。江戸時代、市ヶ谷の高台に水が湧くということで伊達政宗が希望した。しかし明暦2年1656)、徳川御三家のひとつである尾張徳川家が、第4代将軍家綱公より5万坪を拝領し、市ヶ谷台に屋敷を築きました。
 明治維新後、尾張徳川家から返上され、明治7年、京都兵学寮が市ヶ谷台に移転された。
 昭和12年、陸軍士官学校本部として1号館が建設され、その後士官学校本科が座間(神奈川県)へ、また昭和16年に予科士官学校が朝霞(埼玉県)へそれぞれ移り、代わって大本営陸軍部、陸軍省参謀本部が市ヶ谷に置かれた。  
 昭和20年8月、米軍に接収され、翌年5月極東国際軍事裁判東京裁判)の法廷として使用された。その後は、米極東軍事司令部等として使用され、昭和34年に返還された後、昭和35年からは陸上自衛隊東部方面総監部及び陸上、海上、航空自衛隊幹部学校等として使用されてきた。
 平成12年防衛庁が檜町(六本木地区)から移転した。

❷ 市ケ谷台ツアー 防衛省ホ-ムぺ-ジから出典)

 市ヶ谷地区内に所在する庁舎や極東国際軍事裁判東京裁判)の法廷となった大講堂などを移設・復元した市ヶ谷記念館を御案内しているほか、午前のツアーでは、屋外ヘリ展示場、殉職者慰霊碑を、午後のツアーでは、陸海空各自衛隊の装備品を展示する広報展示室を御案内しております。
 コース概要

コース概要
○ 午前
正門 → 儀仗広場(西側) → 市ヶ谷記念館 → 厚生棟(1階で見学・休憩) → 屋外ヘリ展示場 → メモリアルゾーン → 儀仗広場(東側) → 正門
○ 午後
正門 → 儀仗広場(西側) → 市ヶ谷記念館 → 厚生棟(広報展示室→1階で見学・休憩) → 儀仗広場(東側) → 正門

庁舎A棟

庁舎A棟 儀仗広場は、皇族や国賓などが、防衛省を公式に訪問または視察する場合、その途上を警衛し、敬意を表するための儀仗が行われる場所です。
儀仗広場では、儀仗の御説明や庁舎A棟などの庁舎を外観より御案内いたします。

市ヶ谷記念館

市ヶ谷記念館 市ヶ谷記念館は、庁舎A棟の建設に伴い解体された1号館の象徴的な部分を可能な限り現部材を利用し、移設・復元されました。
館内では、極東国際軍事裁判東京裁判)の法廷として使用された大講堂、旧陸軍大臣室や陛下の御休憩所であった旧便殿の間を御案内いたします。

厚生棟

厚生棟 厚生棟は、職員の福利厚生の場で、中には、食堂、喫茶室、売店、体育館、武道場、図書室や医務室などがあります。
厚生棟では、休憩のお時間となりますが、休憩時間を利用して売店の御見学が可能です。

屋外ヘリ展示場(午前のみ)

屋外ヘリ展示場 屋外ヘリ展示場は、陸上自衛隊で実際に使用されていた多用途ヘリUH-1H(ひよどり)を展示しています。
屋外ヘリ展示場では、ヘリに触れていただくことができるほか、操縦席に座っての記念撮影ができます。

メモリアルゾーン(午前のみ)

メモリアルゾーン メモリアルゾーンは、市ヶ谷地区内に点在していた記念碑などを集約・整備・再配置した場所です。
メモリアルゾーンでは、警察予備隊創設以来、職務に殉ぜられた隊員の功績を永久に顕彰し、深甚なる敬意と哀悼の意を捧げる自衛隊殉職者慰霊碑の御案内をいたします。

広報展示室(午後のみ)

広報展示室 広報展示室は、シアタールーム、各自衛隊の展示コーナーおよびパソコンによる情報コーナーがあります。
広報展示室では、広報ビデオの視聴や、展示コーナーを御案内いたします。