昭和の航空自衛隊の思い出(145) 教導高射隊意気高し

1.教導高射隊の概要

 昭和47年3月着任した教導高射隊は、昭和44年1月31日浜松基地に編成完結以来、幾多の変遷をたどり 現在の高射教導群へと発展していった。

 教導高射隊は、初代隊長奥田克彦2等空佐以下76名の隊員により編成完結された。基本任務は、❶ナイキ特技員養成養成のための術科教育支援 ❷高射群の年次射撃及び国産誘導弾の試験射撃の支援 ❸射場管理(射場管理隊は別命するまで人員を充足しないことになっていた。47年12月射場管理隊の定員は減員となり、48年10月射場管理隊新設が定員化された。)、昭和45年に隊長は1佐職となり、47年11月隊長は司令と改称された。

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 2.創設時の教導高射隊

 私が昭和47年3月着任した当時の教導高射隊は、昭和44年1月創設から約3年を経過していたが、新部隊編成後の充実発展途上にあり少数精鋭で活気に満ちていた。

 その前後のことは、航空自衛隊教導高射隊が平成元年に編纂・発行した「20年のあゆみ」に記されている。わけても創設期のことは、初代隊長奥田克彦2佐及び私がお仕えした第2代隊長北村宏2佐の寄せ書きによって知ることができる。

 

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  初代隊長奥田克彦2佐の「初代の記」、教導高射隊の新編に当たり全国から選抜された隊員は多士済々の俊英であり、能く初期の難関の部隊建設と運営に情熱を注いだことが記されている。創立された教導高射隊が奥田隊長を核心として活達朗々と奮闘した記録でもある。》

 

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 第2代隊長北村宏2佐は、昭和46年3月から47年12月まで在任された。確か47年7月1佐へ昇進された。短期間ではあったが私がお仕えした方であり、CS2次試験受験に当たり懇切な指導をいただいた。部隊建設の充実発展にともなう教導高射隊の指揮統率、海外における高射群ASPの評価隊の運営、訓練など心血を注いでおられる姿を拝し感銘を受けたものである。私は部隊に貢献することもなく、第21期指揮幕僚課程学生に選ばれ、わずか4カ月にして、幹部学校付となり、再び転勤となった。》

3.創設時の教導高射隊の功績

❶ 創設当初は、ナイキアジャックスから国産ナイキJへの転換期であり、ナイキJ転換教育支援、ナイキJ誘導弾飛しょう試験支援、ナイキ年次射撃の評価支援と重要な任務が次々と付与されていった時代であった。

❷ 国産ナイキJ誘導弾飛しょう試験では、米国射場で9発全弾命中の快挙を遂げ、まさに昇竜の如く教導高射隊が登場し注目を浴びた。我が国の防空体制が形作られつつあった時代であった。 

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4.高射教導群への充実発展

 自分がかって勤務した部隊について、OBになってもその動向は気にかかるものである。教導高射隊は、時代の進展とともに今日、高射教導群として、航空総隊隷下の航空戦術教導団の直轄部隊として浜松基地に所在している。

 その主任務は、航空自衛隊におけるにおける地対空もミサイルの運用研究及びミサイルの運用に従事する隊員に対する教育支援にある。

 輝かしい部隊の沿革をひもといてみると、わが国の防衛計画に基づきナイキ部隊の充実発展に渾身をるって鋭意努力した隊員の輝かしい足跡を見ることができる。

  • 昭和44年1月31日 - 浜松南基地にて教導高射隊新編
  • 平成元年3月 - パトリオットミサイル導入
  • 平成10年7月31日 - 教導高射隊を廃止し、高射教導隊を新編。千歳基地に基地防空教導隊を配置。
  • 平成20年5月14日 - PAC-3の配備を開始
  • 平成26年8月1日 - 航空総隊直轄の高射教導隊から航空戦術教導団隷下の高射教導群に改編