昭和の航空自衛隊の思い出(144) 教導高射隊におけるCS2次試験指導

1.教導高射隊本部総務班長へ配置

 昭和47年3月浜松基地所在の長官直轄部隊である教導高射隊に転任した。教導高射隊は、昭和44年1月31日 ・ 浜松南基地にて新編されたこじんまりとした部隊であった。入間基地の中警団基地業務群の人員数からすれば少数精鋭であった。文字通り長官直轄部隊で中間司令部はなく、すべて航空幕僚監部への報告・調整であった。

 総務班は、総務部の機能を有し、総務人事を担当して隊長を補佐する部署であった。創設期の部隊であり、前任者は初代総務班長で私の尊敬する部内出身の大先輩で温厚にして能力抜群の伊藤弘1尉であった。

 班員は先任空曹・総務係の梨子田弘1曹と人事係花水浩2曹等であった。

2.CS2次試験集合教育参加

 隊長(2佐職)は、第2代の高射職域・CS卒業生の北村宏2佐であった。着任早々は新しい職務に専念したが、しばらくして、私がCS2次受験者であることから北村隊長のご尽力で、浜松南基地所在の術科教育本部の実施する第2次試験受験者に対する集合教育に入れていただいた。

   当隊には、隊司令を除きCS卒業生はいなかったが、優秀な新進気鋭のナイキ幹部か揃っており、CSを目指すものが多く、今回の1次試験に1名合格していた。

 この集合教育は、集団討論及び個人面接を主としたもので、幹部学校における実際の第2次試験と同じやり方であった。面接官・指導官はすべてCS卒業者の部長等が充てられ術本隷下の受験者と分け隔てなく徹底した教育を受けた。

 集団討論では、順番に司会、書記も経験し、テ-マも実施方式も多種にわたるものであった。服装態度はもとより論旨・発言の内容、回数、時間、討議への協力寄与度、発声など細部にわたって、全体、個別の講評と指導を受けた。

 個別面接では、圧迫試験なるものも経験した。面接場に入るや動転させるよう状況を与えて、混乱させてから面接を行う方式も体験した。受験生の最年長で部隊経験で多少の修羅場を踏んできたのでこうした点ではうろたえることもなく有利なこともあったが、発言内容がやや情緒的であると指摘された。

3.指揮官及び幕僚のあり方

 何日かの教育の後、最終日はに術科教育本部長後藤清敏空将(陸士47期、陸大19.5、陸少佐18.12)の指揮統率、指揮官と幕僚のあり方について、太平洋戦争における戦時体験談、自衛隊における上級指揮官及び幕僚に求められることなど本部長室のソファで全員がお話を拝聴した。

 先の大戦でシベリヤに抑留され、苦節の時期を過ごされ節操を曲げることなく帰還された将官だけにその言葉には千金の重みがあった。

 特に印象に残ったのは、指揮官が部隊の行動方針を選択・決定するにあたって、幕僚はすべて予測される事態に対して、とるべき各行動の利点、不利点を整理し、最良の策を指揮官の前で、己の信ずるところを喧々諤々議論をせよ。状況によっては賛成、反対に分かれて徹底的に議論せよ。問題点ととるべき方針等がより明確となるものだ。

   指揮官はその中からとるべき方針を決する。指揮官の顔色を伺ったり周囲の思惑などに惑わされずに最良策と考える方策を堂々と所信を述べよ、それが幕僚の責務であると諭された。

 後年、各級の司令部の幕僚勤務に際して、いつも後藤空将のお言葉が頭をよぎり、上司・指揮官に対する策案の説明に当たっては、所信を述べることに心掛けた。

   空幕勤務時代に予算の審議1読で各提案について、提案者の提案内容の説明に対して総合的・徹底的な討議が行われる手法などは同じやり方であった。

 

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《 教導高射隊の隊歌、作詞は初代隊本部総務班長の伊藤弘3佐である。》