昭和の航空自衛隊の思い出(122) 副官の日常業務に宝の山

1   副官の任務

 昭和41年5月から43年7月までの2年余入間基地に所在する中部航空警戒管制団司令部副官として勤務した。この間、中部航空警戒管制団司令兼入間基地司令山口二三将補(元空幕防衛部長)、白川元春将補(元航空幕僚長統合幕僚会議議長)の2代の団司令にお仕え、最後は石井信太郎将補の着任後しばらく次の副官と交代するまでの間お仕えした。 

 副官の任務は、高級指揮官の庶務的事項を処理することである。その目的は、指揮官が部隊を指揮し、状況の把握・判断・決心するにあたり最良の環境を作り上げることにある。

 副官勤務に就いた最初の頃は、日常の諸業務を処理するに精いっぱいであったが、慣れてきてからは、常に副官として航空警戒管制団司令兼基地司令が最も仕事をし易いように関係部署と調整・連携を図り、最新の注意を払って業務処理に努めた。

 口で言うことは簡単であるが、これは最高の環境を整えることは、非常に難しいものである。未熟な下位の階級にあるものとしてはひたすら誠心誠意尽くすの一語にあったように思う。

  

2.  副官の日常業務

  副官業務は高級指揮官の朝の登庁‣自宅出発から夕方の退庁・帰宅までが勤務として考えてよいであろう。私の場合は団司令が基地から若干離れた場所に自宅があったことから専任のドライバ-が基地から迎えに乗用車が基地を出発した時から待機が始まり、送りの乗用車が基地に帰ってきて任務が終わることになる。

 基地近傍の官舎の場合は、副官が乗用車に同乗して送迎することもあるが中警団司令の場合は司令の指示でこれを実施しなかった。特別なことがない限り、毎日の送迎は、庁舎前で行うことにしていた。

 司令の登庁前・退庁後の諸準備、部屋の清掃などを入れると勤務時間は相当長いが、全くそのように感じたことはなかった。この待機の時間が実は副官にとって大きな意味をもってくる。実際はこの時間は自分の思うように使える時間であり、有効に活用すると思わぬ成果に結びついてくるものだ。 

    私は副官室で勤務待機する間、時間的に余裕があったので、諸々のことを準備したり勉強することができた。司令に閲覧していただく書類などは相当量あるが、内容別に分類仕分けて閲覧がし易いようにした。

3 .   書類の進達整理は自学研鑽の宝庫

 私は空曹時代の駆け出しのころ、文書係の補佐を命じられた。文書係長の縣益次郎さんは文書管理の大家であり、実に整然と分類整理をされていた。その時書類棚には、「航自衛隊法規類集」がずらりと並んでいた。好奇心旺盛な私は総務のことだけではなくて、全部の規定集を通読することにした。空曹の駆け出しであって、最初のうちは航空自衛隊全体のことが分からず、チンブンカンプンであったが、見聞の範囲、経験の輪が広がるにつれて断片的な事が結びつくようになった。特別な教育を受けなくても、門前の小僧と同じで、お経の意味を少しづつ理解していく如く、「航自衛隊法規類集」の全巻を何回も何回も読んでいるうちに、基礎的なことを学ぶことになった。これが空曹昇任試験、部内幹候選抜試験に結びついていった。

 こうした経験から、副官に就いて、毎日、司令へ進達される大量の書類をどのように整理し閲覧・決裁していただくかが大きな課題であった。書類の優先順位を決めるには、急ぐもの、暇な折に見ていただくもの、同一内容・関連するものなどにまとめるには、まず自分で内容を確認することになる。

 副官は、一般的に秘密に触れることもあるので、秘密に従事する適格性を有するものが選定されることは当然であろう。

 こうした秘密の分野のことではなく、一般的な文書において、その仕分の時どのように対処するかによって、大げさにいえば「天と地」のほど差が出てくることになる。

 私は最初から「航空自衛隊法規類集」と同じ感覚で、副官の職において、同じやるなら進達の文書処理を通して、幹部自衛官としての識能の向上につなげたいと思った。こうして目標を持って事前準備していくと仕事が面白くなってきた。

 自分の設定した視点で、副官業務を処理していくと、文書処理のみならず諸事全般にわたって、副官業務には、自らが取り入れようとする意志と意欲さえあれば、実務の現場に学び取る「宝の山」があった。まさに自学研鑽の「宝庫」といえた。

 

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《 昭和41年~43年中部航空警戒管制団司令部副官時代・2尉 》