浜ちゃん日記  「 出会い」と「一期一会」

 去る3月30日朝、浜松市西区神ケ谷町の洞雲寺に墓参りをした。山門の3月の掲示は、「一期一会」であった。味わい深い言葉である。

 ネットで確認した「ウィキペディア」によると、「一期一会(いちごいちえ)」とは、茶道に関するする日本ことわざ四字熟語とある。

 「茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味する。茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と戒める言葉。」とある。」(ウィキベディア出典)

 人生はつまるところ「人と人との出会い」に他ならないのではなかろうか。配偶者との結びつきも出合いであり、そこから家族が形成される。この世に生を受けてからあの世へ行くまで出会いの連続であり、次から次へと連綿と連鎖していくものではなかろうか。

 私がブログに書いている「昭和の航空自衛隊の思い出」などはすべからく、私の人生の歩みの中で、どんな出合いがあったかを主題としている。その時々の出会いとご縁をどのように自分が受け止めていったかを書き留めているといってよいであろう。

 物心ついてからのこと、小学、中学、高校時代の時代、自衛隊における勤務と生活、退官後の就職、地域での生活などすべてが私と他人との出会いである。人はそれぞれ、その人だけしかない出会いがあるものだ。

 「一期一会」ということは゛を単に知識や概念として理解するにとどめず、実生活の中で、人生とは人との出会いであり、「一期一会」の連続と思うことがある。

   実生活において、どれだけ人と人との出会いを大切に思い接してきたかによって、生活の中身がどんなにか左右されてきたように感じている。

 そう考えてくると、あの時はああしておけばよかった、この時はこうすべきであったとの思いが残るものもある。過ぎ去ったことは再び帰らない。いろいろな失敗と残念と思うことも多かった。次の新たなる出会いに活かす以外になかった。

 

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《 浜松市西区神ケ谷町の洞雲寺に掲示されていた「一期一会」である。》