昭和の航空自衛隊の思い出(120) 副官最後にお仕えした石井信太郎司令

 1.   副官最後の勤務として石井信太郎司令にお仕えする

    昭和41年5月6日付で中部航空管制団司令部副官に配置されて以来、中部航空警戒管制団司令兼入間基地司令に補職された山口二三将補に1年2か月、次いで、白川元春将補に8か月 お仕えしていよいよ任務が解ける時期がやってきた。

 最後は、昭和43年3月末に石井信太郎1佐(後ほど将補にi昇任された。)をお迎えした。司令の交代時期と同時に副官が交代すると円滑な業務継続の点からであろうか、一段落してから次の副官と交代することになった。こうした事情から約3か月後の43年7月に任務を解かれた。

 昭和41年5月連休明けに峯岡山のレーダ-サイトの要撃管制官からいきなり団司令部に配置され、入間基地にやってきてから2年が経とうとしていた。

 石井信太郎司令をお迎えするにあたっては、司令交代時の諸行事等副官としてやるべき諸業務は十分に慣れて来たので、てきぱきと自信を持って遂行することができた。慣れたからといってもマンネリにならず、新たな気持ちで臨み石井司令に接した。

 司令の将補昇任に伴い隷下部隊に配る写真撮影に伴って、石井司令を囲んで副官と副官付も入った写真も撮影してもらった。それだけ心の余裕ができたせいであろうか。今となっては思い出のこもった写真となった。

 

2.   石井信太郎司令の経歴

 石井司令の経歴については、江田島海軍兵学校(66期)を卒業されてから大東亜戦争中における海軍士官として各方面の作戦に従事されたことは「航友」の通りと伺っている。

昭和28年3月26日 保安隊入隊 3等保安正 陸幕通信課

昭和29年8月16日 航空自衛隊へ転官 空幕通信課 3等空佐

昭和30年8月 2等空佐

昭和31年4月 ~同年9月 幹部学校指揮幕僚課程学生 

昭和31年9月 通信学校教務課長

昭和34年3月 空幕防衛課  

昭和34年5月 空幕防衛課編成班長

昭和35年8月 1等空佐

昭和36年7月  西部航警戒管制団副司令

昭和38年3月  統合幕僚会議事務局第5幕僚室

昭和40年7月  第2術科学校第1教育部長

昭和42年3月 補給統制処

昭和43年3月26日 中部航空警戒管制団司令兼入間基地司令

その後、将補へ昇任される。 

 

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《 昭和43年3月26日、石井信太郎司令着任時の入間航友会「航友」の紹介記事である。私のアルバムに貼りつけてあった。 》

 

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 《 平成43年6月ごろ石井信太郎中部航空警戒管制団司令兼入間基地司令が将補に昇任された時の記念写真、司令の両側に立つ副官濵田2尉と副官付溝畑小浪事務官 、私はほどなく副官の職務を解かれた。 》

 

 3.  中部航空警戒管制団司令部と副官

 副官は、中部航空警戒管制団司令部の一員であり、2年2か月の副官勤務を通じて、司令部活動と司令部勤務員の個々の人柄なども大抵知ることとなった。

 副官の立場にあったことが、司令部勤務員全員の名前と人物、さらには担当職務を知ることに繋がり、副官勤務を終了してから、あらゆるところで役立ってきた。

 更に副官の職務柄、多くの人を知るとともに、司令部はもとより隷下部隊長、主要幹部に私の名前を覚えてもらったことが大きな財産となった。

    副官の任を解かれて後、司令部人事部に席を置き、すぐに人事幹部課程に学び、卒業後は、入間基地所在の隷下部隊である整備補給群本部総務人事班長、次いで基地業務群本部人事班長に配置された。

 業務処理の関係において、司令部への報告調整等に当たって、副官当時に築いた人間関係、パイプが生きてきた。こうしたことから極めて仕事がし易い環境が出来上がっていたといえる。目には見えないが諸々のことが加わりその後の職務の遂行に活きてきた。

 後年、人事総務職域の幹部を教育する担当科長になった折は、指揮官の補佐と幕僚の活動、作戦運用と人事総務活動について、副官当時の経験を踏まえて若手の幹部に徹底してその真髄を力説したものであった。

4.中警団司令部の名簿

 昭和43年5月当時の中警団司令部の一枚の名簿が出てきた。変色し古びてしみがついている。はるか47年前のものだ。副司令島田正春1佐‣監理部長太田光栄2佐・人事部長生間光男2佐・防衛部長山口東二・装備部長尾本千二2佐を筆頭に各班の班長・班員の名前がある。空曹・事務官の名前を見るとひとりと一人の顔が浮かび上がる。バッジシステム点検評価要員に、要撃管制官の木村四郎3佐・小川和雄1尉・宇宿輝比古1尉・山岡靖義1尉・後則之1尉の名前を見ると当時のことが思い出される。副官の職務を通じて司令部活動の様子が良く分かるようになり、2年2か月の勤務は得難い経験であった。